活動報告

大宮氷川神社と鉄道博物館を訪ねました

紀行文

2月12日(水)「日本一の参道氷川神社と鉄道博物館を訪ねる」
担当(閑野、小林、宮崎、本田)
 天気予報では日中の気温15℃程度が予定され、朝との気温差が心配される中、武蔵小金井駅8時30分発の下り電車で出発。西国分寺で乗り換え、いったん府中本町へ戻り始発に乗車し、南浦和、大宮とJRを乗り継ぎ、ニューシャトルで一駅目の鉄道博物館駅で下車。鉄道博物館入り口で記念写真撮影を行った。10時に鉄道博物館ボランティアガイドの方と合流。4班に分かれて博物館展示物の説明を受けた。御料列車とお召し列車の違い、東北新幹線の台車雪対策、SLの仕組みなど説明を聞かなければ見逃す内容の連続で大いに感動。その他、最近まで中央線で走っていた前世代のクモハ101形電車(101系電車)が展示されていたが、行先表示はなんと「武蔵小金井」となっており少し感激するなど、充実の2時間を過ごす。12時になり昼食は、博物館4階の食堂や各地の駅弁を購入し現役時代そのままの特急車内でとった。13時に鉄道博物館を後に、徒歩で氷川神社へ向かった。氷川神社は武蔵一宮で、参道は日本一の2kmの長さを誇る。かつては大宮公園も境内地に含まれ、「大いなる宮」から「大宮」の地名がついた。また、明治天皇は東京遷都の際に、桓武天皇の平安遷都の際の賀茂神社行幸に習いここ氷川神社に行幸され、武蔵国一宮とされた。拝殿でお参りした後、有名な見沼溜井の名残の神池と御神泉を見学し、解散式を行った。その後、長い参道を歩き大宮駅に戻り帰途についた。
(参加者54名)

2020年02月12日

新春の浅草・隅田川を廻りました

紀行文

1月7日(火)新春 浅草と隅田川を訪ねる    担当(織壁、岡田、佐藤(夕)、小林、垂水)
前日が寒の入りで、当日は曇り空の寒い日和であった。朝8時15分に三浦屋前広場に集合。8
時42分の上り始発に乗り、神田駅下車、東京メトロで浅草に。地上に浮かび上がって、浅草文化観光センターでトイレ休憩と点呼を行ったところ、参加者は75名にもなっており、多少時間を要し、10時10分見学へ出発した。当日の見学予定は先ず浅草七福神として、浅草神社、待乳山聖天(まつちやましょうでん)、今戸神社の3寺社、隅田川を渡って隅田川七福神の長命寺(ちょうめいじ)、弘福寺(こうふくじ)、三囲神社(みめぐりじんじゃ)の3寺社、郷社の牛嶋神社の7寺社である。
先ず5分ほどで浅草寺境内にある三社祭で有名な浅草神社へ。資料によれば恵比須神ということになっているが、正月の御開帳でも秘仏とかで見せない。一応お参りしてすぐ出ようとしたら、境内の一角で猿回しが始まり、その面白い仕草を見ていたら30分も時間をとってしまった。15分で待乳山聖天。毘沙門天は本堂内の扉の開いた厨子の中に納められていた。年に一度の大根まつりの日で大勢の人で賑わっていた。つぎに15分ほどで今戸神社へ。福禄寿は本堂正面の良く見えるところに祀られていた。境内に今戸焼発祥の地の石碑と、新撰組沖田総司終焉の地の石碑が並んで建てられていた。
隅田川を渡り、今戸神社の対岸に当たる場所に、隅田川七福神の長命寺(弁財天)、弘福寺(布袋)が建っている。長命寺は裏門から入るのが近いのだが、その横に『山本や』が二百数十年の味を伝える名物の桜餅を売っており、多くの参加者が飛びつき相当時間を費やした。長命寺の弁財天、弘福寺の布袋はいずれも本堂の正面の見やすい場所に祀られており、また隅田川七福神は参拝客も少なかったので時間は取らなかったが、それでも弘福寺で既に12時を過ぎていた。数分で三囲神社に着く。この神社は、三井越後家(三越などの創業家)の守護神として崇敬を集め、三井家先祖をまつる霊社や三井邸から移設した三角石鳥居やライオン像が境内に安置してある。恵比須神、大国神の二神は、境内の本殿左手の末社月読命(つくよみのみこと) 祠に祀られていた。
ここで12時40分だったので、解散式を行い以後は自由とした。しかし牛嶋神社までは、ほぼ全員が行動を共にした。この神社は郷社ではあるが、江戸時代には将軍家の崇敬が厚く、明治10年刊行の「東京名所図会」にも名所として記載されている。参拝後言問橋を渡り、午後1時過ぎ浅草寺へ帰ってきたが、小雨が降り出していた。ここで実質解散になり各自昼食をとり帰宅した。
(参加者75名)

2020年01月07日

渋谷を廻りました

紀行文

12月10日(火)「渋谷を歩く」              担当(柏倉、本田、中島、森)
 夜来の雨が上がり青空が見え始めた8時33分、小金井駅始発の電車で移動開始。吉祥寺から合流の参加会員とともに井の頭線で渋谷へ到着。
 まずは、「忠犬ハチ公」に挨拶し、再開発の駅周辺を眺めた後、スクランブル交差点を渡り、いよいよ渋谷を代表する「道玄坂」を歩き始めた。与謝野鉄幹、晶子ゆかりの「東京新詩社跡」を見た後、さらに道玄坂を上り坂上にある「与謝野晶子歌碑」を見て、関西から嫁いできた晶子の苦労に思いをはせ、また「道玄坂供養碑」を見て、道玄坂の由来と供養碑の意味を知った。
 東急開発の街、というイメージの渋谷であるが、関東大震災の後、西武の前身の「箱根土地開発」が被害を受けた都心の有名店を誘致した「百軒店(ひゃっけんだな)」(今はその面影も無くなってしまった)を歩き、時期を同じくして宮益坂から遷座した「千代田稲荷神社」(もともとは太田道灌が伏見稲荷を江戸城に勧請した)にお参りをした。
 次に「渋谷区立松濤美術館」を訪問。学芸員から建築家「白井晟一(せいいち)」の設計による美術館についての詳しいレクチャーを受け、その後自由に建物と開催中の「サラ・ベルナールの世界展」を鑑賞した。美術館正面にて集合写真撮影後、近隣の「松濤公園」を散策。時代に伴って変わってきたこの地の歴史を感じたところで、この見学会のハイライトともいえる「陸軍衛戍刑務所跡」に向かって松濤の坂を歩いた。途中「国木田独歩旧宅跡」を見て、NHKスタジオパークの道を挟んだ「二・二六事件慰霊碑」(陸軍衛戍刑務所跡)に到着。何故この地なのか、由来と設置団体等について学んだ。その後、刑務所の南端に位置する「陸軍用地」と刻まれた境界石を見て、当時の刑務所の敷地の広さを想像した。その後、駅に戻る道の途中今は無くなってしまった「恋文横丁跡」を確認して終了。
今回の見学会は多数の方に参加して頂いたのだが、混雑する渋谷の街中で通行人等に迷惑を掛ける場面があったのは、反省点のひとつであった。
 尚、この見学会の場所とコースの原案は、本年11月にお亡くなりになった奥村氏によるもので、多数の方の参加を頂いた事を生前に報告出来なかったことは大変残念でした。ここにあらためて故人のご冥福をお祈りいたします。合掌。                  (参加者 57名)

2019年12月10日

講演会を開催しました

講演会説明

小金井史談会 講演会 11月16日
 2年ぶりに令和元年11月16日土曜日14時から16時、萌え木ホールで今年刊行された小金井市史を記念して講演会を開催しました。テーマは「江戸時代 小金井市域の文化の展開」 講師は小金井市史 Ⅳ近世第7章の執筆者の一人 中元幸二氏(現・国分寺市ふるさと文化財課職員) ①書の家 持明院家と大久保台六郎 ②国府算額名所の記述の変遷 ③俳諧師宝雪庵可尊という内容でレジュメではかなりの難解さが予想されたのですが、講師の巧みな口調で聴取者を飽きさせず会場は熱気に包まれました。小金井市及び小金井市教育委員会の後援をいただき、市報(11/1)・「市のお知らせ」を掲載しました。そして会員の皆さんの友人・知人などへの広報の結果、参加者69名になり成功裡に終わりました。

2019年12月06日

看板建築の町石岡と筑波山を訪ねました

紀行文

見学会報告
11月12日(火)「看板建築のまち石岡と紅葉の筑波山を訪ねる」
担当(織壁、塚田、馬淵、宮崎、松下、嵯峨山)
小金井を7時に出発、午前10時前に石岡に到着、晴天にめぐまれ筑波山がきれいだ。茨城県石岡は古代国府が置かれた常陸国の中心、常陸国分寺跡と看板建築をボランティアのガイドで見学した。石岡は昭和4年に市街地の四分の一を焼失する大火にみまわれた。その復興建築に使われたのが看板建築、現在国登録有形文化財6戸を含め約30戸が現存する。看板建築とはなんじゃ? 疑問を持ちながらボランティアの話を聞く。関東大震災後に東京の市街地で再建に看板建築が大流行。石岡はそれが伝播したものだ。東京では職人の名は伝えられていないが、石岡で多くを手がけた左官職人・土屋辰之助の名が残る。防火のために銅板やモルタルの壁面は凝った装飾風仕上げたので見栄えがする。コリントやイオニア様式の柱頭飾り、アールデコ風のレリーフ、ガラス戸の瀟洒な組子、ドイツ下見張の銅板など。参加者世代はなんともノスタルジックな景色に感動「なつかしい!」を連発した。昭和大火でかろうじて焼け残った江戸期の元染物屋「まち蔵藍」も見学した。
昼は、市内老舗料亭でお弁当を食べ、名産品、野菜などを土産にバスで筑波山に向かった。かつて筑波山は江戸や多摩地域からも良く見え、浮世絵にも描かれてランドマークであった。この日は快晴、真っ青な空を背景に筑波山の男体山、女体山の二峰がくっきり見える。ロープウェイで女体山に登る。6分で到着し、頂上へは徒歩10分ほど。年寄りがつまずいては大変なことになると、登った人は7割ほど。頂上からは関東平野全体が見渡せ、水面が光る霞ヶ浦が美しい。筑波山名物のガマの油を売る売店をウィンドウショッピングしながら帰途に着いた。小金井には6時過ぎに到着。(参加者55名)


2019年11月12日

鎌倉幕府ゆかりの地を訪ねました

紀行文

見学会報告
10月8日(火) 「鎌倉幕府ゆかりの地を巡る」    担当(馬淵、島田、閑野、中島)
 当日は、雨予想から幸い秋の好天に恵まれた見学日となった。会費徴収の際に、4種の中から昼食の注文を取った。武蔵小金井駅8時04分始発の上りに乗車。途中、安全確認が行われたため徐行運転が続き、新宿駅到着が遅れ予定していた湘南新宿ラインに乗車できず、鎌倉駅には計画より10分以上遅れて到着。駅改札口を出たところで点呼を行い、最初に若宮大路の段葛を歩き鶴岡八幡宮へ向かった。大石段の元で、平成22年に倒木した大銀杏から生えた若木を見上げる位置で集合写真を撮った。その後大石段を登り本宮に参拝。参拝を終えた後、鎌倉国宝館脇の道に出ると「一昨日この道で流鏑馬(やぶさめ」が行われたばかり」とのことで、後片付けをしていた。
鎌倉幕府の最初の将軍居館であった大蔵幕府跡(碑)を確認し、源頼朝の墓(法華堂跡)を訪ねた。頼朝の墓は幕府跡に驚くほど近い。石段を登り質素な石塔を見学。石段を下り、その奥の石段を登り北条義時法華堂跡を訪れた。健脚組は、さらに奥の階段を登り大江広元他の墓も訪ねた。鎌倉駅到着が遅れた関係で、残念ながら荏柄天神社の参詣はパスし、昼食を団体予約していた蕎麦屋「宮前」に丁度間に合った。先付けとして出てきたこんにゃく玉や大豆の煮物が非常においしく、また蕎麦や天丼も味が良く、最後にデザートとして水ようかんも出て来て、皆さん(特に女性陣には)大変満足していただいたようだった。
昼食後は永福寺跡を見学した。ここは源頼朝が奥州平泉を攻めた際に亡くなった将兵の鎮魂のために無量光院を模して建てた寺院跡で、中心の堂である二階堂が現在の地名由来となっている。最近発掘整備が進み、基壇と庭園、池が復元されている。その次に、そばにある護良親王の墓を訪れた。この墓は200段近い急階段を登る必要があり、入口のみを見学。その後に護良親王を祀る鎌倉宮を訪れた。事前に団体案内を予約していたが、神職の方から土牢や宝物館にて非常に丁寧な説明をしていただいた。鎌倉宮には鎌倉駅行の始発バス亭があり、一部の方がここでリタイアしたいとのことで、無料休憩所にて終了式を実施。
休憩後、北条氏の邸跡であった宝戒寺境内入り口を通り、東勝寺橋を経由して東勝寺跡を訪れた。ここは北条得宗家の氏寺跡で鎌倉幕府・北条一族終焉の地であり、その奥にある「北条高時腹切りやぐら」を見学。ここは一族郎党が最期を遂げた場所といわれ、今なお妖気が漂っている感じがした。ここから若宮大路幕府跡(碑)を通り鎌倉駅に戻り、午後5時すぎに小金井に帰着。                     (参加者40名)

2019年10月08日

狛江を巡りました

紀行文

見学会報告
9月10日(火) 「狛江を巡る」          担当(柏倉、坂本、門川、馬淵)
 当日は、前日の台風一過にて南の暑い空気が流れ込み生憎の猛暑となったが、多くの元気な方の参加を得た。8時36分発の下りに乗車し、西国分寺、
府中本町、登戸にてそれぞれ乗換え、小田急線狛江駅で下車。狛江駅構内で点呼を行った。
最初に「むいから民家園」を訪れた。ここには狛江市内の古民家、旧荒井家住宅主屋と旧高木家長屋門が移築されている。民家園の職員の方に説明をしていただいた。「「むいから」とは麦藁のことで、狛江では茅葺屋根に一部麦藁を使用していたので「むいから屋根」と呼ばれていました」、「旧高木家長屋門内には機織り機が展示されていますが、この機織り機はテレビ番組「やすらぎの刻~道」にてロケに使用されました」など。次に兜塚古墳を訪れた。ここは都指定史跡で、墳丘の残存直径約43m、高さ4mの円墳で、多くの古墳が残る狛江地域の中でも保存状態が良好な古墳である。幸い墳丘頂へ登ることが出来、多くの参加者が登頂し古墳の大きさを実感した。
その後は、この古墳からほど近いところにある伊豆美神社を訪れた。寛平元年(889年)に建てられた古社であり、もともとは多摩川沿いにあったが天文19年(1550年)の洪水で流失し、現在地に移転している。宮司には事前に説明をしていただく予約をしていたが、境内の説明に加え、拝殿内に上がらせていただき鏡や格天井に描かれた歌など、神社の由緒含め詳しい説明をしていただいた。最後に参詣の土産もいただいた。
次に、多摩川近くに移動し玉川碑(万葉歌碑)を訪れた。江戸時代に建てられたが、文政2年(1829年)の洪水で流失。大正13年に拓本を元に現在地に建てられたものである。そして多摩川沿いにある水神社を訪れた。この神社は、天文21年(1550年)の洪水により流失した元の伊豆美神社があったとされる場所にある。その後狛江駅に戻り、駅周辺で各自自由に昼食をとった。
午後は、狛江駅のすぐそばにある泉龍寺を訪問。東大寺開山の良弁(ろうべん)僧正草創と伝わり、現在は曹洞宗の寺院となっている。昭和19年までは「まわり地蔵」と呼ばれた各地域を回る巡行仏が有名であった。事前に拝観と案内の予約をしており、前住職から説明をいただいた。非常にきれいな本堂内、清楚な境内と墓所、そして平成23年に開館した泉龍寺仏教文庫(仏教関係の書籍の他、泉龍寺伝来の文化財を収蔵している)も見学、それぞれ丁寧に説明していただいた。前住職は仏教における学識が非常に深く、またお話も大変上手であった。(後で知ったことであるが、前住職(菅原昭栄氏)は東大史料編纂所の教授を務めた歴史学者であり、現在も私立大学の教授を務めている)
 猛暑のため泉龍寺で解散。当初予定していた泉龍寺別院、弁財天池は希望者のみの見学とし、午後4時ころ小金井に帰着。                (参加者46名)

2019年09月10日

足尾銅山を訪ねました

紀行文

(1) 8月20日(水)「わたらせ渓谷鉄道と足尾銅山を訪ねる」担当(塚田、織壁、馬淵、嵯峨山)
作家立松和平は、足尾線(現わたらせ渓谷鉄道)を子どものころ訪ねている。「大間々をすぎたあたりから、山の中に入る。渡良瀬川に沿った美しい風景を幼い私は車窓にもたれながら眺めていたものだ。したたるような緑の中をすんだ水が流れる…『旅の暮らし』」と書いている。
6:15集合。小金井の高齢者パワーは朝に強い、6:20バスで出発。圏央道、関越道を通って順調に9時桐生駅に到着した。窓ガラスのないオープンな車両と普通車両の2両・トロッコわっしー号に分乗して出発。通洞駅まで1時間半の列車の旅。緑の美しい風景が広がる車内で昼食をとった。
通洞駅で集合写真をとり、二班に分かれて見学に向かった。古河足尾歴史館では館長さんが「足尾は鉱毒であまりにも有名になったのですが、今は緑の山々です。鉱山の歴史についても知っていただきたい」「山がはげ山になったのは、精錬から出るガスのせいもありますが明治20年の大山火事も原因です」などと語った。江戸時代の初めが全盛期で、足尾銭と言われた寛永通宝も作っていたという。明治になり衰退していた銅山を復活させたのが古河市兵衛、明治の富国強兵を支えた。
次に、足尾銅山観光に向かう。およそ5分のトロッコ列車に乗り坑道に進む。奥には約1,200㎞に達する坑道があり、東京・博多間とおなじだという。トロッコを降りひんやりした坑道を見学した。江戸時代の手掘りから、近代化された機械による掘削までリアルな人形が作られていた。坑道の外には江戸時代の鋳銭座跡の展示館があり、寛永通宝の鋳造の様子が展示されていた。
次は「鉱都足尾の迎賓館・古河掛水倶楽部」に行く予定であったが、都合で見学できず、車窓から旧精錬所跡、銅親水公園や足尾の山並みを見学して、帰途についた。渡良瀬川の川沿い、北関東道・関越道などをとおるも、時折激しい夕立にみまわれ、更に圏央道の事故不通にて渋滞に遭遇。予定より少し時間を要し、午後6時半ごろ無事小金井に帰着した。(参加者54名)

2019年08月21日

青梅を巡りました

紀行文

7月9日(火) 青梅を巡る               担当(森、島田、佐藤(夕)、宮崎)
梅雨の真最中で、朝は長袖だけでは寒いくらいの気温であったが、幸い雨は降らず終日曇。案内にアップダウンがあり長距離を歩くと書いたので、参加者は健脚自慢の35名。8時45分発の青梅行きに乗車。青梅駅のホームから改札に向かう通路には、「最後の映画看板師」久保板観さんが描く昔懐かしい手書きの映画看板が並んでいる。まずは旧青梅村の総鎮守住吉神社へ。女坂を登って境内に着くと、眼下に青梅の市街地が広がる。この神社はこの下にある延命寺を開山した季竜が、故郷摂津の国住吉大社の神を勧請したもので今年創建650年になる。
青梅は昭和をテーマに町おこしをしており、この後「昭和を楽しむ三館」を見学。昭和レトロ商品博物館では、昭和30~40年頃の駄菓子や薬などのパーケージが展示されており、子供の頃を懐かしく思い出した。二階は小泉八雲の怪談「雪女」発祥の地がここ青梅で、資料が展示されていた。赤塚不二夫会館では、昭和を代表するギャグ漫画家赤塚不二夫作品の原画や当時新発売された少年マガジンや少年サンデーも展示されており、毎週発売を楽しみにしていた往時の記憶が蘇ってきた。昭和幻燈館では、美空ひばりなど往年の銀幕スターのブロマイドや、有田ひろみ・ちゃぼの青梅猫町商店街ジオラマ、猫ばかりの作品を鑑賞、癒しの時間を過ごした。
三館見学後、延命寺や津雲邸のある路地を歩き、多摩川の畔の釜の淵公園にある青梅市郷土博物館へ向かった。学芸員から青梅の歴史や産業等の説明を聞き、特別展「青梅のいきもの」を見学した。また博物館に隣接して移築され国の重要文化財に指定されている19世紀初頭の農家「旧宮崎家住宅」を見学。この古民家前で記念撮影。久しぶりに弁当持参で、梅雨で水嵩を増した多摩川の流れを見ながら、そして鶯やホトトギスの鳴き声を聴きながらベンチで弁当を広げた。
昼食後、多摩川がこの地で巾着形に大きく曲がって流れていることを確認して青梅駅に向かった。青梅駅から河辺駅までJRで移動し塩船観音まで歩く予定であったが、その後青梅駅からバスで塩船観音まで行けるルートが見つかり、全員午後1時42分のバスに乗車。塩船観音はつつじが有名だが、この時期は本堂の東側斜面一杯に紫陽花が見事に咲いていた。約20名が一番高所に立つ観音像に行き、眼下に塩船の名前の由来となった舟形の地形を確認、遠景も楽しんだ。ほぼ全員が午後3時8分の小作駅行バスに乗車して帰路に就いた。午後4時30分小金井帰着。   (参加者35名)

2019年07月09日

北口本宮浅間神社と忍野八海を巡りました

紀行文

6月11日(火)北口本宮冨士浅間神社と忍野八海を巡る    担当(小林、間島、桜井、池田)
6月7日の入梅から四日目で、天気予報は雨だったが、幹事の念力が通じたのか、明け方まで降っていた雨は集合時間には上がり、日中は日差しも出て快適な見学会となった。朝8時10分に60人乗りの大型観光バスで小金井を出発。キューピー富士吉田工場には予定時刻10時30分より40分も早い、9時50分に到着。2班に分かれ、1班(29人)は1時間のキューピー工場見学、もう1班(28人)はバスで10分程の北口本宮冨士浅間神社を約1時間見学した。これはキューピー工場の受け入れ人数に制限があった為である。昼食は全員で浅間神社横の茶屋で名物のほうとう鍋を食べ、午後は見学先を入れ替えて見学した。
キューピー富士吉田工場は、さすがに食品工場というに相応しい清潔な工場である。見学通路と工場はガラスで完全に仕切られており、おかゆの製造では、一袋づつ米の投入、水と調味料を混ぜ加熱して粥にし、冷やして後パッキング、段ボール箱への積込みが無人で行なわれる。見学後は、試食室でおかゆ、トロピカルミックス(酢のジュース)などを試食し、最後にドレッシングとおかゆのお土産付きで、皆大いに満足した。
北口本宮冨士浅間神社は、浅間神社の格としては低いが、吉田口登山道の起点であり、平成25年(2013)富士山が世界遺産に登録された時、神社・登山道がその構成資産になったため、大いに羽振りを利かしている。境内の説明はガイドさんにお願いした。面白かったのは本殿の経緯で、始め武田信玄が造営した本殿を豊臣秀吉が横に退けて前よりも大きい本殿を作り、徳川家康がまた退けて更に大きな本殿を造った。そのため本殿の四方にある樹齢千年と言われるご神木が邪魔をしているので屋根を切欠いている。本殿、拝殿などほとんどの建造物が国指定の重要文化財である。鬱蒼とした杉木立の中の神社は荘厳な雰囲気に満ちていた。両班合流して忍野八海へ。
 忍野八海とは、富士山の雪解け水が地下の溶岩の間で約20年の歳月を経てろ過され、湧水となって8か所の泉をつくる。古くは信者たちが富士登山前にここで水行を行ったとされるが、その後荒廃していた。天保14年(1843)、長百姓大寄友右衛門が忍野八海、富士講を再興し、各池に守護神の八大龍王を祀り、石碑に和歌を刻み巡礼路を整備した。平成25年世界文化遺産に登録。近年個人が人工の池を作り、多くの観光客がこの人工の池を忍野八海と誤認しているようだ。3班に分かれ、本来の忍野八海をガイドさんの説明で巡った。観光客も少なく池の底から湧水が静かに噴出るのが見えた。
15時30分忍野八海発、17時20分小金井着。                (参加者57名)

2019年06月11日

松江・出雲・石見銀山の歴史史跡を巡りました

紀行文1

5月20日(月)~22日(水)「島根 松江城、出雲、石見銀山を訪ねる」その①
担当(塚田、織壁、間島、嵯峨山、佐藤(夕)、馬淵)
史談会初めての飛行機を使っての見学会、出雲と石見を訪ねた。20日朝7時35分発の日航便で出雲縁結び空港に向かい、9時に到着、地元の一畑観光バスが出迎え。空に雲がやや多く、少し波が荒い宍道湖を右に見ながら松江中心部に向かう。途中、斐伊川をわたる。「この川はヤマタノオロチの神話の川です」と運転手さん。出雲は神話の国だ。ホテルに荷物を預け松江城に見学に行く。
松江城天守が2015年に国宝に指定されたことから、ボランティアさんの解説にも力が入る。「この城を作った大名は誰でしょう? 堀尾吉晴です。秀吉恩顧の部下で築城に優れていました」城の中に入ると、国宝指定の決定打となった祈祷札は「慶長拾六年…」とあった。1611年に築城されたことが証明された。「この階段は桐材です。火に強く、丈夫です」急な階段を登り天守最上階へ。四方の見晴らしがよい。南には宍道湖が見え、北には武家屋敷が連なる。
松江と言えば小泉八雲、『怪談』などの著作で知られる。旧居には八雲が使った机などがあり、純和風の家だ。「ここで怪談・民話を書きました」「一神教の西欧ではない日本が好きでした」。松江城の「掘川めぐり」ツアーは「橋は背を屈めないと通れません、注意!」と船頭さん。堀から見上げても見えるのは石垣ばかりだが、城の天守も少し見える。小一時間の船旅を終え、ホテルにもどり温泉につかる。この日、松江城山稲荷神社の渡御際ホーランエンヤの期間。10年に一度、約100隻の舟が大橋川と意宇川を舞台に繰り広げる大船行列。渡御の舟を見ることはできなかったが、堀川めぐり事務所で記念の手ぬぐいをタダでいただいた。いい記念だ。夕食は居酒屋で松江名物を味わう。
二日目はホテルを8時に出発、50分ほどで足立美術館に着いた。9時開館前なのにたくさんの観光バス、すでに団体客は入場開始、人気だ。足立美術館の名は聞いているが、創立者の足立全康氏は知らない。貧農に生まれ、丁稚奉公などをへて実業家として成功したとある(ひとことでは言えない)。貧しい時、横山大観の絵にふれ、絵画にめざめた。収集日本画を展示する美術館をつくるにあたって、何よりも庭園に力を入れ、背景の山々も借景にした日本庭園を造った。米国の日本庭園専門誌「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」による庭園ランキングで、16年連続日本一に選ばれている。この日空は真っ青雲一つない、奇跡の晴天。日本庭園の美しいこと。横山大観をはじめとする日本画家の展示に圧倒され、一同感激。

5月20日(月)~22日(水)「島根 松江城、出雲、石見銀山を訪ねる」その②
5月21日昼頃、足立美術館を出た後は、宍道湖の水面を見ながら、大田市の石見銀山に向かう。今日は波もおだやか。宍道湖畔で昼食の後、1時間40分で石見銀山駐車場に到着。ここから先は環境保全のため電動自転車を使う。世界遺産・石見銀山ガイドの会のみなさんがお迎え。「この銀山は小金井とも関係が深いのです。川崎平右衛門は江戸中期ここにきて銀山の再興に力を発揮しました。その後3代にわたり代官をつとめました」そこから間歩(坑道)に向かう。山は緑に囲まれウグイスの声が聞こえる。「あれが千の山、山を中心に銀鉱脈があります。戦国時代「灰吹き法」が朝鮮から伝えられ生産が一挙に増えました。大名間の争奪がはげしくなりました」と銀山の歴史と銀製法を説明。電動自転車に慣れ、坂道を上って龍源寺間歩に到着。坑道にはライトがついているが暗い。暗い坑道を味わいながら約40分、鉱脈跡、横穴、立坑、水抜き坑などの解説を受けた。他のグループは熊谷家など石見銀山のお膝元で発展した大森の町並みを訪ねた。
二日目の宿は温泉津(ゆのつ)温泉だ。戦国、江戸時代は銀の積出港として、また温泉地として栄えてきた。温泉津の町は江戸の頃から配置がかわらず、重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。「外湯は薬師湯と元湯があります。ぬるいほうは43度、少し熱いのは46~7度でしょうか」と仲居さんの話。えぇっ!これは大変だ。入りに行ったのは数名らしい。
三日目は、さらに青空、雲一つない。出雲大社に向かう。今回は事前に申込、正式参拝となった。特に認められて、神主さんの先導で瑞垣の中、本殿前まで行き拝礼。そして大社についての説明を受ける。「こんな晴れは珍しい。出雲は八雲たつと言われるように雲と湿気が多いのです」と神主さんは開口一番。「大社は正式にはオオヤシロと言います。今年は60年に一回の遷宮。出雲大社は、建物の建て替えではなく、檜皮のふき替えなど補修が中心ですが、檜の皮を集めるだけでも大変。総額百億円以上かかります」「祭神は大国主命です。大黒天とは違います」「朝と晩、新鮮な食事、贄と言いますが毎日お供えします」などと歴史や式年遷宮についての話を聞く。
島根県立古代出雲歴史博物館は、出雲大社を中心とした古代出雲についての展示をしている。主な展示物は、荒神谷遺跡より出土した銅剣358本・銅矛16本、銅鐸6個(以上国宝)、加茂岩倉遺跡より出土した国宝の銅鐸39個、平安時代の出雲大社本殿を再現した10分の1の模型などであり、石見銀山など旧石見国も含めた島根県全体の歴史についての展示もある。中央ロビーには、2000年に出雲大社境内から出土した宇豆柱(うづばしら)。
帰りの羽田便は、残念ながら2グループに分かれた。16時15分発のグループは博物館見学後空港から羽田に向かい、19時25分発のグループは島根半島の西端に位置する日御碕(ひのみさき)神社、古代出雲歴史博物館を見学し羽田に向かった。    

紀行文2

5月20日(月)~22日(水)「島根 松江城、出雲、石見銀山を訪ねる」その②
5月21日昼頃、足立美術館を出た後は、宍道湖の水面を見ながら、大田市の石見銀山に向かう。今日は波もおだやか。宍道湖畔で昼食の後、1時間40分で石見銀山駐車場に到着。ここから先は環境保全のため電動自転車を使う。世界遺産・石見銀山ガイドの会のみなさんがお迎え。「この銀山は小金井とも関係が深いのです。川崎平右衛門は江戸中期ここにきて銀山の再興に力を発揮しました。その後3代にわたり代官をつとめました」そこから間歩(坑道)に向かう。山は緑に囲まれウグイスの声が聞こえる。「あれが千の山、山を中心に銀鉱脈があります。戦国時代「灰吹き法」が朝鮮から伝えられ生産が一挙に増えました。大名間の争奪がはげしくなりました」と銀山の歴史と銀製法を説明。電動自転車に慣れ、坂道を上って龍源寺間歩に到着。坑道にはライトがついているが暗い。暗い坑道を味わいながら約40分、鉱脈跡、横穴、立坑、水抜き坑などの解説を受けた。他のグループは熊谷家など石見銀山のお膝元で発展した大森の町並みを訪ねた。
二日目の宿は温泉津(ゆのつ)温泉だ。戦国、江戸時代は銀の積出港として、また温泉地として栄えてきた。温泉津の町は江戸の頃から配置がかわらず、重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。「外湯は薬師湯と元湯があります。ぬるいほうは43度、少し熱いのは46~7度でしょうか」と仲居さんの話。えぇっ!これは大変だ。入りに行ったのは数名らしい。
三日目は、さらに青空、雲一つない。出雲大社に向かう。今回は事前に申込、正式参拝となった。特に認められて、神主さんの先導で瑞垣の中、本殿前まで行き拝礼。そして大社についての説明を受ける。「こんな晴れは珍しい。出雲は八雲たつと言われるように雲と湿気が多いのです」と神主さんは開口一番。「大社は正式にはオオヤシロと言います。今年は60年に一回の遷宮。出雲大社は、建物の建て替えではなく、檜皮のふき替えなど補修が中心ですが、檜の皮を集めるだけでも大変。総額百億円以上かかります」「祭神は大国主命です。大黒天とは違います」「朝と晩、新鮮な食事、贄と言いますが毎日お供えします」などと歴史や式年遷宮についての話を聞く。
島根県立古代出雲歴史博物館は、出雲大社を中心とした古代出雲についての展示をしている。主な展示物は、荒神谷遺跡より出土した銅剣358本・銅矛16本、銅鐸6個(以上国宝)、加茂岩倉遺跡より出土した国宝の銅鐸39個、平安時代の出雲大社本殿を再現した10分の1の模型などであり、石見銀山など旧石見国も含めた島根県全体の歴史についての展示もある。中央ロビーには、2000年に出雲大社境内から出土した宇豆柱(うづばしら)。
帰りの羽田便は、残念ながら2グループに分かれた。16時15分発のグループは博物館見学後空港から羽田に向かい、19時25分発のグループは島根半島の西端に位置する日御碕(ひのみさき)神社、古代出雲歴史博物館を見学し羽田に向かった。         (参加者 23人)

2019年05月20日

武蔵野の古代中心地と中世近世要地を巡りました

紀行文

5月14日(火)「武蔵国の古代中心地と中世近世の要地を巡る」 担当(馬淵、嵯峨山、中島、岡田)
令和に替わり最初の見学会となった。小雨模様のせいか参加者数が少なかった。武蔵小金井駅8時38分発に乗り、西国分寺駅にて下車。
最初に訪れたのは「東山道武蔵路遺構再生展示施設」。線路に近い場所に、発掘されたままの姿で保存展示されている。ここから真っすぐに南に伸びる武蔵路跡を歩き、想像していたよりも大きな道路を実感しつつ市立歴史公園「史跡東山道武蔵路跡」を訪れた。ここには、かつてここから見えた東山道武蔵路と武蔵国分寺の景色を描いた絵が掲示されており、鑑賞。その後、「武蔵国分寺伽藍地北辺の溝跡」を見学し史跡の駅に移動。ここでボランティアガイドの方から武蔵国分寺資料館、国分寺、武蔵国分寺七重塔跡・金堂跡・講堂跡の説明をしていただいた。金堂跡では基壇と須弥壇が、講堂跡では基壇がそれぞれ復元されており、着実に史跡の整備が進んでいる。説明の最後に武蔵国分寺資料館に集まり、集合写真を撮った。
武蔵国分寺跡から西に歩き武蔵野線の高架下付近にて、このあたりにはかつて東山道武蔵路が通っていたことを確認し武蔵国分尼寺跡に到着。金堂跡の復元整備が進んでおり、金堂基壇(版築)の断面を見学。北府中駅から府中本町へ移動。最近整備が進んでいる駅横の「武蔵国府跡 国司館地区・徳川家康府中御殿跡」を見学。終了後、駅周辺にて各自自由に昼食をとる。
午後はまず「武蔵国府跡 国衙地区」を訪れ、国府官庁街の中心であったことを確認。国府跡から出土した瓦や塼(せん、古代のレンガ)、灰釉陶器などを展示している「ふるさと府中歴史館」を見学。ここで空模様が怪しいため、残念ながら高安寺見学の省略。その後、大國魂神社を参拝し、府中本町から西府駅に移動。「武蔵府中熊野神社古墳」を訪れた。この古墳は7世紀中頃の築造で、下の2段が方形で上段が円形の上円下方墳で非常に珍しい形。最近、古墳全体が石で覆われた築城当時の姿に復元整備され、非常に美しい姿を見せている。展示館ボランティアガイドの方から古墳に関する説明を受けた。古墳見学後、展示館にて出土遺物などを見学。「七曜文(しちようもん)」が刻まれていた鞘尻金具(さやじりかなぐ)である。また、この展示館には復元された石室模型が併設、頭にヘルメットをつけて見学した。展示館敷地内で終了式を行い、解散。武蔵小金井駅には15時50分に帰着した。    (参加者数 44名)

2019年05月14日

常陸桜川と真壁を訪ねました

紀行文

4月9日(火)「常陸桜川と雨引観音、真壁の町並みを巡る」   担当(織壁、関口、曽根、塚田)
前日と翌日が天候不順なのに、この日は快晴、絶好の花見日和となった。朝7時20分に小金井を出発し、首都高速、常磐道を経て予定どおり桜川磯部稲村神社に到着。桜川市ヤマザクラ課の渡邉さんが出迎えてくれ、小金井との桜の交流について話された。「江戸時代に苗木が桜川から隅田川や小金井におくられています。小金井桜のふるさとです」おりしも神社の糸桜が満開、山桜もきれいに咲いていた。宮司さんも話され「紀貫之が和歌に桜川のことを詠み、平安時代から都に知られていました」など由緒を語られた。神社の拝殿と桜を背景に宮司さんと集合写真を撮った。
20分ほどで雨引観音・楽法寺。「一に安産、二に子育て・・」と詠まれる寺。参加者は何を願うか? とにかくお参りした。開祖は飛鳥時代との伝説もあるほど歴史のあるお寺。大きな観音堂、多宝塔、仁王門など多くの建物があり想像していたよりはるかに大きく、一同感心。幸運にも境内にいるといわれる孔雀を見ることができたのは10人ほどだった。真壁の町に入り、歴史的建造物の伊勢屋旅館で田舎料理の昼食。けんちん汁、桜でんぶ飯などを味わう。真壁の町は茨城・石岡から栃木・真岡へ通じる要衝、歴史ある町だ。戦国時代までは真壁氏、江戸時代は浅野氏などが治めた。江戸はじめの町割りが400年も変わっていない。木綿や絹の流通で栄えた。「幕末から明治になると商家などが立派な門を構えました」と真壁のボランティアさん。田舎の三越と呼ばれる「潮田家」や笠間藩御用達「星野家」など国の登録有形文化財を見学。15時に帰途に就き、18時前に小金井帰着。 (59名参加)

2019年04月09日

杉並の南部を巡りました

紀行文

3月12日(火)「杉並の南部を巡る」            担当(馬淵、森、柏倉、佐藤(夕))
急に暖かくなり好天に恵まれ、絶好の春の見学会日和となった。天候が良かったせいか多くの方の参加を得た。
武蔵小金井駅8時42分の上り始発に乗車し、吉祥寺経由で井の頭線永福町にて下車。最初に訪れたのは杉並区立郷土博物館。若い学芸員の方から常設展示と庭の移築古民家について、丁寧な説明をしていただいた。杉並区は、善福寺川や神田川など多くの河川が東流していることから、古代から中世、近世、近現代まで人々の営みが継続しており旧跡が多いが、説明を聞いてよく理解できた。この付近一帯は善福寺川両岸に広がる広大な和田堀公園となっており、博物館を出た後に公園内の各所を訪れた。松ノ木遺跡は、非常に多くの縄文時代から古墳時代の住居跡が埋まっているが、現在は松ノ木中学校などが建っており遺跡の雰囲気はないものの、復元住居が展示されている。残念ながらコンクリート製であった。その後、バードウォッチングが出来る和田堀池をゆっくりと一周し、大宮遺跡を訪れた。ここは高台にあり当時から神聖な祭祀域であり、時を経て大宮八幡宮の境内と重なっている。隣の大宮八幡宮は広大な境内を有し、社殿も非常に立派である。八幡宮を出た後は西永福駅まで歩き吉祥寺経由で荻窪駅へ移動、12時10分着。駅周辺で各自昼食をとっていただいた。
午後は13時20分に再開。先ず明治天皇荻窪御小休所を訪れた。明治天皇は何度かここを利用されたが、明治16年4月23日観桜のために小金井へ行幸された折もここで休息されており、小金井とは縁のあるところである。
次に訪れたのは大田黒公園。音楽評論家であった大田黒元雄氏の邸跡で、広い日本庭園が保存・維持されておりゆっくり散策できた。池には小千谷市から贈られた立派な錦鯉が泳いでいる。レンガ色の瀟洒な記念館の前で集合写真を撮った。公園敷地の隣では現在3階建ではあるがマンション建設中で、景観の面で少し残念である。歩いて5分ほどで角川庭園に到着。ここは角川書店の創始者である角川源義氏の旧宅を杉並区が寄贈を受けて改修し公開している。職員の方から庭園について詳細な説明をしていただいた。庭に実っていたキンカンを「皆さんどうぞ食べてください」と言われビックリ。おいしくいただいた。庭の片隅にある水琴窟は、雅な音色を出していた。
その次に訪れたのは荻外荘である。ここは、首相を3度務めた近衛文麿が昭和12年から住み始め、多くの重要な政治会談を行った場所で、政治に関する遺跡として国の史跡に指定されている。邸の周りは残念ながら金網の柵で囲われておりそばには近づけない。当時の客間や応接部分を含む邸宅の一部は、現在豊島区に移築されているが近い将来再移築し、元の姿に復元する計画が進んでいるようである。邸の南側には当時大きな池があったが、今は子供が遊ぶ芝生となっている。
(皆さんかなり歩いて疲れていたため、この後予定していた与謝野公園はパス)
最後に訪れたのは光明院。この寺の辺りは、昔は「荻」が生い茂っており荻寺と呼ばれ荻窪の名の由来になったといわれている。現在は残念ながら荻寺の面影はない。境内で終了式を行い、荻窪駅で解散。武蔵小金井駅には16時20分頃帰着。                  (参加者 61人)

2019年03月12日

房総の村と加曽利貝塚を訪れました

紀行文

(1)2月19日(火)千葉 房総のむらと加曾利貝塚を訪ねる  担当(塚田、桜井、島田、織壁)
小金井を8時15分に出発。早春の小雨が降る中、バスで3時間ほどかけて印旛郡「房総のむら」に到着。ここは千葉県有数の規模を誇る龍角寺古墳群が
ある。まず岩屋古墳。ボランティアガイドさん「地山を利用、三段作りで一辺108mの大きな方墳を作りました。周囲に二重の堀があります」
「石室が見えます。それで岩屋と名付けられました」。次に明治32年建築の旧学習院初等科正堂を見る。重要文化財。隣村に三里塚御料牧場があった
縁で譲り受け、小学校講堂として使っていたそうだ。101号古墳は小さな古墳だが、埴輪が再現・陳列されていて見ごたえがある。ここで発掘された
埴輪の実物が風土記の丘博物館に展示されている。博物館には古墳の石室や鉄剣、鏃、古代寺院・龍角寺の瓦などを展示。「霞ケ浦周辺は古代に栄えた
時代があったのです」と。また房総のむらには江戸時代の武家屋敷、大きな農家や佐原市などの古い商家を16棟再現した町並みがある。小学生たちが
遠足にきていた。商家の町並みで集合写真。農家レストランで二色カレーセットの昼食。うまい!と評判だった。
午後、1時間ほどで加曾利貝塚に着く。待ち受けた学芸員が「国の特別史跡です。物でいえば国宝です」と誇らしく話す。ボランティアガイドさんの
解説でまわる。「全国2400の貝塚の三分の一が東京湾沿岸です。この地域は数だけでなく規模が群を抜いています」。博物館には貝類、土器、土偶、
装飾品などを展示。土器は加曾利式の名にもなった。貝類だけでなく、人骨、獣骨なども出土。「犬の骨はそろって出土、大切に狩りにつれていった
ようです」。140mと190mの環状の南・北貝塚は東京ドーム2個ほどある。貝塚断面観覧施設がある。イボカサゴ、ハマグリ、アサリなどの貝類、
犬の骨も見える。貝殻のカルシュウムで土壌が中和され、動物の骨が良好な状態で保存されているのが特色。「ここは住宅地などになる危機があり、
保存運動が行われたことも知ってください」と話す。雨も上がって3時半出発、5時半過に小金井に帰着。
(参加者58名)

2019年02月19日

東海七福神とその周辺を巡りました

紀行文

1月8日(火)初詣 東海七福神とその周辺を巡る        担当(小林、織壁、間島、岡田)
快晴だが寒中の季節通りの気温で、特に朝8時10分の三浦屋前広場の集合時には手先がかじかんだ。8時33分の始発に乗り、京急線の新馬場駅に10時10分着。
7班に分かれ、それぞれにガイドさんが付き巡った。点呼後出発。徒歩15分ほどで、まず訪れたのは近代硝子工業発祥の碑である。明治6年(1873) この地に日本最初の近代硝子工業所が設立されたが、経営不振から解散した。碑のみが道端にひっそりと立っている。小道を入り数分で東海寺の大山墓地に着いた。東海寺は徳川家光が沢庵を招聘して創建。幕府による手厚い保護を受けていたが、明治維新後、寺領は新政府に接収され衰退。墓地は残り、沢庵墓(国史跡)、国学者賀茂真淵墓(国史跡)、鉄道の父と言われた井上勝、新しいところでは品川出身の島倉千代子の墓など 多くの有名人の墓がある。
七福神巡りの第一番は、新馬場駅横の丘の上の品川神社(大黒天) である。この神社も徳川家の保護を受けていたが、現在まで生き残って、当日は会社の団体の参詣で賑わっていた。拝殿の奥の方の正面に20cm位の大黒天が鎮座していた。参拝後、社の後ろを回った所に、板垣退助の墓があった。見学後山を下り数分で養願寺(ようがんじ、布袋尊) に着く。天台宗の小さな寺で本尊は虚空蔵菩薩。布袋尊は本堂の賽銭箱のすぐ前に安置されていた。次の一心寺(いっしんじ、寿老人) は養願寺から30mほどの所にあり、同じような小さな寺で本尊は不動明王。寿老人は同じように前面の見やすい場所に安置されていた。次の聖蹟公園は品川宿本陣跡という石碑のみ見て通過。5分ほどの荏原神社(恵比寿) は、和銅2年(709) の創建で、現在でも府中の大國魂神社の神職は例祭のくらやみ祭りに際し荏原神社に参詣し禊を行うほどの由緒ある神社である。残念ながら拝殿の扉は締切ってあり、恵比寿は何処に祀ってあるのか全くわからなかった。また歩いて20分程で品川寺(ほんせんじ、毘沙門天) に着いた。真言宗醍醐派の別格本山で、本尊は水月(みづき)観音だが秘仏のため前立として通常は聖観音が置かれている。が当日は聖観音の代わりに毘沙門天が置いてあった。12時半だったのでガイドさんはここで終了。付近で各自自由に昼食をとった。
午後は京急線で立会川まで乗車。駅そばの天祖諏訪神社(福禄寿) に詣でる。1mほどの福禄寿の木像は、拝殿の中ではなく横の事務所の一部を改造し置いてある。拝んだ後その頭を撫でるとご利益がありますと札が下がっていて、皆撫でていた。また京急線に1駅乗り大森海岸駅そばの最後の七福神、磐井神社(いわいじんじゃ、弁財天) に着く。この神社は平安時代に編纂された延喜式神明牒に記載されている古社。社殿の左の池の中に弁天島が作られており、小さな社の扉は開かれ、中に琵琶を持った弁財天が祀られていた。境内の一廓で終了行事を行い、14時30分現地解散した。(参加者59名)

2019年01月08日

大磯を巡りました

紀行文

12月11日(火)師走の神奈川県大磯町を歩く      担当(関口、島田、塚田、佐藤(環))
気温が今季最低水準だった朝。2台のバスに分乗して、中町のリサイクルセンターを午前8時に出発。10時15分過ぎにJR大磯駅のロータリーに到着した。67名の大所帯のため、A,Bの2班に分かれて見学を始める。A班は、まず島崎藤村の墓に向かう。承和4年(837) の創建と伝えられる地福寺の境内にあり、梅の古木に囲まれて静かに眠るその傍らには妻の静子さんの墓も。墓碑は文化勲章の受章者で建築家の谷口吉郎博士の設計になるもので、簡素なものだった。曇天の中、新島襄の終焉の地へ歩みを進める。石碑は愛弟子の徳富蘇峰の筆によるもので、熱心に見入る参加者もいた。そこから数分の鴫立庵へ。西行法師の歌で名高い「鴫立沢(しぎたつさわ)」に、寛文4年(1664)小田原の崇雪という人が草庵を結んだことが始まり。京都の落柿舎(らくししゃ)、滋賀の無名庵と共に日本三大俳諧道場と言われる。ここまでに1時間を要した。B 班と合流すべくJR大磯駅や澤田美喜記念館に向かう。ちなみに、B班は澤田美喜記念館を最初に見学して、地福寺、新島襄終焉の地、鴫立庵へと回っている。三菱財閥初代総帥・岩崎彌太郎の孫である澤田美喜は、戦後、混血児教育に情熱を傾けた。生前の遺思を引き継ぎ、この記念館は開設された。戦前・戦後の40年に亘って同氏が蒐集した江戸時代の隠れキリシタンの遺物や関連資料などの貴重な資料ばかりで、参加者は西田館長の説明に熱心に聞き入っていた。この後、バスに分乗、大磯港にある駐車場へ。寒さの中、参加者はバスの中で持参した昼食を済ませた。
午後は12時50分、明治記念大磯邸園の見学から始まった。明治維新150年記念として一般公開を始めた旧大隈重信邸や旧陸奥宗光邸の邸園などを参観した。公開は今年末までで、以後の公開は未定という。貴重な機会だった。次の県立大磯城山公園にある旧吉田茂邸は吉田茂首相の養父が建てた別荘が始まり。平成21年に焼失したが、平成28年に再建された。和風建築の粋を集めた造作には素晴らしいものがあった。また、次の旧三井邸城山荘をモチーフにした郷土資料館は健脚組のみが見学した。吉田邸の見学あたりから細かい雨が降り出す。朝からではなく、見学会終盤で助かった。雨の小金井に帰着したのは5時半過ぎだった。             (参加者67名)


2018年12月11日

多摩の酒造会社を訪ねました

紀行文

11月14日(水)多摩の酒造会社を訪ねる          担当(間島、馬淵、嵯峨山、柏倉)
この見学会は、日本酒を飲まない方、特に女性の参加者は少ないかなと少し心配していたが、お酒が飲めない方でも十分楽しめますとの企画と宣伝が功を奏したのか、結果的に多くの女性含め46名の参加を得た。当日は晩秋の見学会にふさわしい絶好の日和に恵まれ、快適な一日を過ごすことが出来た。朝8時15分に集合、8:44分発の青梅行きに乗車し、拝島駅で下車。ゆっくりと多摩川方面に歩き、約15分で石川酒造に到着。
石川酒造の正門を入って正面の杉玉が吊るしてある酒蔵の前でまず集合写真を撮った。その後、石川酒造の職員の方から敷地内の建造物や酒蔵内で丁寧な説明を受けた。酒蔵では、「三段仕込み」の理由や作業内容、「大吟醸」はお米の外側を削る精米の割合が50%以上、等々いろいろな詳しい説明を受けた。説明後は皆さんが楽しみにしていた試飲となった。新酒の他、日本酒で造った梅酒もいただけた。今回の昼食は、全員が一緒に食事できるようにとの間島幹事の企画を、石川酒造さんの特別の計らいで、国の登録有形文化財建造物(「向蔵ビール工房」の二階)を使用させていただいた。この二階は落着いた雰囲気のある非常に大きな広間となっており、予約していた仕出し弁当の素材も味も良く、大変好評であった。食前酒には、一階ビール工房の出来立て地ビールや「多満自慢」の新酒を飲むことが出来た。
石川酒造から徒歩で拝島駅に戻り、羽村駅まで青梅線で移動。羽村駅に到着する直前に塚田役員から、羽村駅北口にある「まいまいず井戸」見学の飛び入り提案がなされ、急遽見学。その後、駅南口に移動し多摩川を目指して歩いた。羽村取水堰は、多摩川の河口から54kmのところにある玉川上水の取り入れ口である。玉川上水は1653年に完成したといわれ、取り入れ口のほとりには開削に尽力した玉川兄弟の像が立っている。ここから玉川上水に沿って歩くと、ほどなく第三水門と羽村導水ポンプ所が見えてきた。ここで山口貯水池と村山貯水池への導水と玉川上水とに配分しているので、ここからの玉川上水は急に狭くなる。その後、非常に静かで緑豊かな上水沿いの小道を、途中休憩をとりながら25分ほど歩き、ようやく煉瓦煙突が見えてきた時には歓声が上がった。田村酒造に到着である。田村酒造の酒蔵には、かつての酒蔵のシンボルである「煉瓦煙突」が残っており、大変美しい姿を見せている。ここでは、酒蔵見学の他、敷地内見学で田村分水の取り入れ口も見学できた。田村分水は玉川上水からの数少ない個人分水であり、当時は敷地内にあった水車で、精米や発電に利用していたそうである。田村酒造見学の最後も、皆さんが楽しみにしていた試飲で締めくくった。併せて多くの方が「嘉泉」の新酒を購入していた。
最後に、田村酒造から徒歩5分の所にある「旧ヤマジュウ田村家住宅」を訪問。事前に小金井史談会の名前で団体予約をいれていたが、見学人数が約50人とのことから福生市教育委員会文化財係長以下4名の方から非常に親切丁寧な説明をいただいたので見学予定時間をだいぶ超え、武蔵小金井駅帰着は17時半となった。                      (参加者46名)
                   

2018年11月14日

稲城市の寺社を巡りました

紀行文

10月9日(火)稲城市の寺社を巡る         担当(坂本、佐藤(環)、中島、閑野)
JR武蔵小金井駅を8時32分に出発。西国分寺で武蔵野線に、府中本町で南武線に乗り換え、矢野口駅に9時過ぎに到着、下車し点呼。
ボランティアガイドさん2名の歓迎を受ける。今回の見学会は全工程をこの2名のガイドさんにガイドして頂いた。感謝。9時20分出発。
先ず駅の北側にある14基の馬頭観音像、矢野口渡し跡を見学。南に転じて、穴澤神社へ向かう。急峻な男坂とやや緩やかな女坂と二つの
道がある。44名の参加者中約10名が勇気を奮って男坂へ。女坂組とは頂上のお社で合流した。延喜式にある武蔵国多磨郡穴澤神社に当たると
言われている古社だ。下りは男坂組も女坂を選んで下りた。途中に「東京の名湧水57選」にも選ばれた湧水と小さな洞窟があった。
京王相模原線の高架を潜って、妙覚寺へ向かう。ここでも本堂までは踏み込みの広い階段が続く。境内には筆塚と板碑、鐘楼があった。
板碑は緑泥片岩製で享徳3年(1454)の銘があり相当古いモノだった。少し歩いて京王相模原線の京王よみうりランド駅から1駅乗車し稲城駅で
下車。天台宗妙見寺と妙見尊は明治以降も神仏習合を続けている珍しい状態で、妙見尊を妙見寺が今でも別当寺として管理している。
妙見寺から急な階段を登って、11時55分に妙見尊に辿り着く。妙見尊の星祭りは有名。境内にある星供養百年祭記念碑(大正10年(1921)の銘)には
小金井村からの3名、手水石(明治11年(1878)の銘)には1名の名を確認できた。多摩川を越えた交流の跡を示しており、この地が小金井からの
信仰の対象となっていたことがわかる。大分お腹も空いてきたが、お昼の前に訪れたのが「常楽寺」。阿弥陀堂外陣の鏡天井には、
江戸時代中期の絵師、相沢五流による飛天図が描かれており、稲城市観光課長の協力と寺側の好意で史談会一行に公開された。
午後1時前に稲城市役所に到着。地下の職員食堂で観光課長からの歓迎の挨拶を受けながら、お昼をいただく。約1時間の休憩の後、延喜式内社の
一つとも言われる青渭神社は向かう。途中、漢学者の窪全亮が明治13年(1880)に設立した私塾「奚義塾」跡に建つ頌徳碑も見学した。
10分ほどでJR稲城駅に到着。14時45分現地解散。解散後、駅横の売店でてんでに名物の梨のアイスクリームや土産物を買う姿が
目立った。約16000歩。よく歩いた。      (参加者44名)


2018年10月09日

江ノ島を巡る

紀行文

6月12日(火) 江の島の見どころを巡る        担当(小林、門川、宮崎、柳澤、佐藤(環))
 明け方まで台風の影響を受け雨が降っていたが、三浦屋前広場に集まった時は曇り空になっていた。混雑する新宿での乗り換え時間を考慮し、
8時に集合、8時19分の始発に乗った。新宿で下車、混雑する地下道でトイレと点呼を行い、9時30分発の小田急藤沢行に乗車。
電車はガラガラでホット一息ついた。10時42分片瀬江ノ島着。江の島の見どころ巡りの出発。先ず橋長389mの弁天橋を渡る。
急に道幅が狭くなり両側に土産物店が並ぶ弁財天仲見世通りを抜けると、大きな朱塗りの鳥居があり、江島神社の辺津宮(へつみや)への
入口であった。ここで集合写真を撮る。辺津宮へはここから相当数の階段を上るのであるが、最近はエスカーと称するエスカレーターが
造られていて今回はこれを利用した。辺津宮の祭神は宗像三女神の三女の田寸津比賣命(たきつひめのみこと)。本殿の左横に小さな奉安殿が
建てられていて、そのなかにかの有名な裸弁財天(本当の名は妙音弁財天)と八臂弁財天が祀られている。江戸時代には弁財天を本尊とする寺
であったが、明治維新後の神仏分離により寺は壊され、神社が前面に出て、弁財天は脇役となった。参拝後、またエスカーに乗り中津宮に着く。
祭神は宗像三女神の二女の市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)。またエスカーに乗り、島の頂上にあるサムエル・コッキング苑に入場する。
明治期アイルランド人サムエル・コッキングが造った庭園を戦後藤沢市が買収し公開した。苑内には展望台があり、丁度その頃は快晴となり
上ると四方が見渡せた。退場後、三々五々昼食。13時30分奥津宮に集合し、参拝。2~3分歩いた所で健脚組と非健脚組に分かれ、
健脚組は白波が立ち岩礁に覆われた稚児ヶ淵に向けて急峻な階段を下る。突然、100m以上も続くオープン・スペースが視界に入る。
晴れた日には富士山が望めるそうだが、この日は雲が厚く見えない。ただただ、潮騒の音が響いていた。そのまま、歩いて第一岩屋の入り口に着く。
これは波によって浸食され造られた洞窟で、足元を照らす蝋燭を借りる(無料)。内部は年間を通じて摂氏15~18度で、ヒンヤリとした空気。
第一を出て、長さがほぼ三分の一の第二岩屋に回る。帰りの階段の登りは流石にきつく、息も絶え絶えに集合場所に辿り着いた。
非健脚組は平坦な道を歩き龍恋の鐘を見物した。帰りはダラダラとした下り坂を歩き、弁天橋のたもとで15時少し前に現地解散した。
                                                   (参加者49名)

2018年06月19日

世田谷西部を訪ねる

紀行文

5月8日(火) 新緑の世田谷・次太夫堀公園、静嘉堂文庫を訪ねる 担当(織壁、門川、小林、米山)
明け方まで激しく降っていた雨は、幸運にも集合時間の8時15分には止んで見学会中は傘を使わないで済んだ。武蔵小金井駅を8時42分に出発、
井の頭線、小田急線と乗り継いで成城学園前駅で下車、点呼後10時から歩き始めた。いわゆる成城学園を中心とするお屋敷街は駅の北側であるが、
こちら南側も称号の前に成城学園と付けアピールするマンション、商店が目立った。約30分で最初の見学地・次太夫堀民家園に到着。本園は
昭和63年(1988) 世田谷区立として野川沿いのこの地に開園した。名主屋敷(主屋1棟、土蔵2棟)、民家2棟、表門、消防小屋などを復元し、
公園内の次太夫堀や水田とあわせて、江戸時代後期から明治時代初期にかけての農村風景を再現している。ボランティアガイドさんの2班に分けた
丁寧な説明があった。各自軽い昼食後11時45分出発。野川の川岸を25分歩き永安寺へ。この寺は室町時代、第4代鎌倉公方足利持氏の家臣、
二階堂信濃守の子孫清仙大和尚により、延徳2年(1490) 開基(実際は再興)した。この寺で感心したのは、本堂の障子が1mほど開けてあり、
薄暗い中に本尊千手観音菩薩が電光に照らされくっきりと浮かんでいた。次に約10分で大蔵氷川神社へ。祭神は大己責命(おおなむちのみこと)、
素戔嗚尊(すさのおのみこと)。大蔵町の鎮守である。また10分で岡本公園民家園へ。世田谷区の有形文化財第1号に指定された旧長崎家主屋と
土蔵1棟、椀木門(うでぎもん)を復元し江戸後期の典型的な農家の家屋を再現している。裏門に位置する椀木門を出て、急坂を数分上り13時頃最後の
見学地静嘉堂文庫美術館に着いた。三菱財閥の創始者岩崎彌之助、息子の岩崎小彌太が収集した国宝7点、重要文化財84点を含む、
およそ20万冊の古典籍と6,500点の東洋古美術品を収蔵する美術館。当日は「酒器の美に酔う」という企画展が催されていた。注目の国宝
「曜変天目(稲葉天目)」が出品されていた。鑑賞時間は個々に異なるため、入場前に解散式を行い、鑑賞後は自由に退場帰宅とした。
14時頃には大部分は退場した模様。               (参加者42名)

2018年05月08日

小田原城などを巡りました

紀行文

4月10日(火) 小田原方面、大雄山最乗寺と小田原城周辺を巡る        担当(塚田、馬淵、桜井、嵯峨山)
当日は晴天となり、春らしい絶好の見学会日和に恵まれた。リサイクルセンターを8時15分にバス2台を連ねて出発。
中央道-圏央道-東名高速を走り、中井PAにてトイレ休憩し大井松田IC経由で、最初に大雄山最乗寺に向かった。
最乗寺では、ボランティアガイドの方がいらしたので、急遽ガイドをお願いした。バス駐車場からの参道はかなりの急坂であったので、
登坂が無理な方は無料の移動車両を利用いただいた。老杉が生い茂る参道を登り、多くの堂舎に関する解説を聞き、最後に有名な赤色の
「世界一の大下駄」を見学したが、ガイドの丁寧な解説により予定見学時間を大幅に超えてしまった。
小田原漁港に移動し、各自自由に新鮮な魚介類の昼食をとった。昼食後は、石垣山一夜城を見学。かなり急坂なところもあり、
健脚コース組と平坦コース組に分かれて歩いた。健脚コースでは、西曲輪跡、天守台跡、本丸跡、物見台、二の丸跡、井戸曲輪跡を見学。
物見台では小田原市内、特に小田原城天守閣や小田原漁港などが遠望できたが、皆さん小田原城天守閣を見つけるのに一生懸命であった。
一夜城は、野面積(のづらづ)み石垣を含め築城当時の姿がかなり残っており、小田原城はよく行くが一夜城は初めてという方が多く、
想像していたよりも遥かに規模が大きく立派であった、との感想が多かった。
最後に小田原城址公園を見学。ボランティアガイドを予約していたが、予定時間に大きく遅れていたため40分程度での短縮解説をお願いした。
銅門、常盤木門を通り抜け、本丸内の天守閣前広場にて集合写真を撮影。その後、天守閣に登り足早に展示資料を見学し、最後に最上階から
小田原市内、相模湾を360度遠望した。
今回の見学会では3カ所を巡ったが、どこも非常に見ごたえのある場所であったこと、また帰途の中央道にて事故渋滞に遭遇するなどして、
予定時間を大幅に超えて18時15分に小金井帰着。
                                      (参加人員63人) 

2018年04月10日

夢の島公園と葛西臨海公園

紀行文

3月20日(火)夢の島公園と葛西臨海公園を巡る     担当(島田、奥村、佐藤、米山)
 彼岸の中日で、当然その日は、春の陽気と思って計画したのに、真反対の冬日の気温と冷たい雨。
(但し、一日違いの翌21日は、東京では32年ぶり降雪真冬日で運が良いのか悪いのか迷う)。当日38名の参加で一安心、予定通り
8時42分の始発で小金井を出発。東京駅地下ホームから京葉線新木場駅で下車。第五福竜丸展示館までは寒い雨の中徒歩10分、
待機していたガイドさんの説明を受ける。昭和29年(1947)、木造のマグロはえ縄漁船第五福竜丸はビキニ環礁付近で操業中、
乗組員38人全員が米国の水爆実験の放射能の灰を浴び、無線長の久保山愛吉さんが亡くなられた。昭和51年(1977)この地に廃船になった
第五福竜丸の船体、漁具類、久保山さんの船員手帳などが展示されている。約45分の見学後、次の植物館に向かう。
雨の中を歩いて来たので温室植物館に入りホット一息入れる。館長さんの温室内の暖房は夢の島内のゴミの焼却場からの熱を利用している
との説明と植えてある熱帯植物の簡単な解説があり、自由に約50分見学した。椰子、バナナ、マンゴー、カカオ、パンノキなどの大木が
植えられ実をつけていた。また水性植物、食虫植物、小笠原諸島の固有種も面白かった。
すぐ隣のBumB(ぶんぶ、文武の意という。都営スポーツセンター)内のレストランで昼食。食後の満腹感で体力・気力も回復して、
次の一駅先の葛西臨海公園に向かう。水族館入口で写真撮影。水族館は久し振り童心にかえり皆さんかなり真剣な表情で 泳ぎ回る
シュモクザメ、エイ、カツオ、マグロなどの群れに見入っていた。1年半ほど前クロマグロなど160匹が水槽内で全滅した。現在は
その後追加投入された魚達が元気に泳ぎ回っていた。丁度餌を与える時間にぶつかり、水槽の上からアジ、イカ、イカナゴなどの餌が
投入されマグロが食べるシーンが見物できた。約90分の見学後退館。15時現地解散する。希望者はクリスタルビューから東京湾を展望した。
寒さと雨の中、大変思い出に残る見学会となった。     (参加者38名)

2018年03月20日

早稲田・千駄木・根津を巡りました

紀行文

2月14日(水)明治・大正の二大文豪記念館を巡る     担当(馬淵、嵯峨山、岡田、松島)
気温の低い日が続き天気が心配されたが、当日は晴天で温かくなり絶好の見学会日和に恵まれた。8時42分武蔵小金井駅始発に乗車、
東西線早稲田駅にて下車。最初に穴八幡宮へ向かった。何故穴八幡宮を訪れるのか、との質問があったとのことで、漱石の癇癪持ちが少しでも
和らぐようにと鏡子夫人が「蟲封じ」の御参りをしたといわれる、文豪に関係する場所である、と説明。
その後、漱石誕生の地の石碑を見学し、漱石山房通りを歩き昨年9月に開館したばかりの漱石山房記念館を訪れた。ここは、
漱石が没するまでの9年間を過ごした住居(漱石山房)跡である。漱石山房は、戦災で焼失した。庭園を散策し、漱石像を囲み集合写真を撮った。
入館後、この記念館の目玉である再現された書斎の前でボランティアガイドの説明を受けた。当時撮った写真にそっくりにできている。
記念館見学後は神楽坂駅まで歩き、駅周辺で分散して昼食。昼食後、東西線・千代田線で根津駅へ移動し、漱石・鷗外両文豪ゆかりの
根津神社を訪れ、両文豪が腰掛けたという「文豪憩いの石」、「鷗外の石」と称する水飲み場などを見学した。その後、近代文学史上重要な
史跡といわれている、鷗外と漱石が時期を前後して住んだ住居跡の石碑を見学。そして緩やかな上り坂である薮下通りを歩き、鷗外が
30歳から亡くなるまでの30年間を過ごした住居である「観潮楼」跡に建つ森鷗外記念館を訪れた。記念館の方より「観潮楼」と展示資料に関する
説明を受け、庭園も散策。当時のまま残る数少ない遺物である「三人冗語の石」も見学。鷗外が住んでいた頃はここから品川沖が見えたとの
ことであるが、現在はビルの間からスカイツリーが見える。記念館を出た後は、団子坂を下り谷中界隈を歩き、岡倉天心記念公園にて
終了式を行った。その後全員で谷中銀座まで歩き、ここで午後3時ごろ解散した。                          (参加者52名)

2018年02月14日