江戸城を巡りました

紀行文

5月10日(火) 旧江戸城の内郭と内濠を歩く          担当 (馬淵、嵯峨山、中島、垂水)
新緑の候、好天にも恵まれ想定を超える多くの方に参加いただいた。当日朝は、8時35分発の始発に乗車し出発。東京駅の丸の内中央改札口を出た所で人員点呼。なんと68人で、用意した配布資料が足りず、一部役員の方に配布した資料を供出いただき、ご迷惑をかけしてしまった。
当時本丸への登城門であった大手門から見学を開始。典型的な桝形門で、渡櫓の大きさを実感。三の丸尚蔵館は現在新館建築中にて休館中で、見学できず残念であった。中之門跡に近づくと巨石で築かれた石垣が現れた。この門は本丸の正門玄関にあたり、江戸城で最大級の巨石が使用されている。本丸跡へ入る前に南端に位置する三重の富士見櫓を見学。本丸跡へ移動し、浅野内匠頭刃傷事件で有名な「松の廊下」跡を訪ね、蓮池濠に面して残る富士見多聞の内部を見学。その後、右手に表・中奥跡を、左手に大奥跡を見ながら広い本丸跡を横断し、本丸休憩所にて休憩。ここでは最近設置された天守の復元模型が見学できた。
休憩後、汐見坂から二の丸庭園を望んだ。当時は海が見えたことからこの名がついたといわれるが、想像以上の高低差が感じられた。坂を下りたところで本丸を見上げると、左手に家康時代に築かれた石垣が、右手には明暦の大火以後に築かれた石垣が見られ、築造時期の違いがよく解かる。梅林坂をのぼり本丸跡にもどり、天守台跡に登った。江戸城の天守は3度築かれたが、明暦の大火で焼失した後は再建されず、天守台跡だけが残っている。当時日本最大の天守といわれただけに、天守台の石垣も立派で非常に大きい。
北桔橋(はねばし)門から本丸跡を出て、国立公文書館を見学。明治維新後の公文書を保管しており、適宜公開している。見学当日は特別展「公文書でたどる沖縄の日本復帰」が展示中であった。同時に基本展示として複製品ではあるが「日本のあゆみ」も見学できた。ここは見学者が非常に少なく、ゆっくりじっくりと見学できる。その後、北の丸公園の中にある徳川御三卿清水家の表門であった清水門を見学。この門も桝形門で立派である。清水門で見学会は一次終了とした。
ここで見学会を終了する方は、九段下駅まで担当が案内。引き続き見学を希望する方は千代田区役所にて昼食。休憩後見学を再開したが30人強の方が参加。九段下駅から地下鉄で半蔵門駅まで移動し、半蔵門から桜田濠沿いを歩いた。桜田濠は広大で、日比谷方面に向かって緩やかに下っており、雄大な景色が楽しめた。途中、警視庁手前で内堀通りを横断し国会前庭へ移動して、日本の標高の基準となる地点である「日本水準原点」を見学。ここは旧彦根藩井伊家上屋敷があったところ。この屋敷跡から、井伊大老が暗殺された「桜田外の変」発生場所と登城門であった桜田門を望んだ。その後桜田濠に戻り、西の丸防御のために規模の大きな桝形門である桜田門を見学。桜田門を通り、皇居二重橋を左手に見て、東京駅に戻り解散した。  (参加者68名)

2022年05月10日