最近の活動です

活動・見学会報告

武蔵野の古代中心地と中世近世要地を巡りました

紀行文

5月14日(火)「武蔵国の古代中心地と中世近世の要地を巡る」 担当(馬淵、嵯峨山、中島、岡田)
令和に替わり最初の見学会となった。小雨模様のせいか参加者数が少なかった。武蔵小金井駅8時38分発に乗り、西国分寺駅にて下車。
最初に訪れたのは「東山道武蔵路遺構再生展示施設」。線路に近い場所に、発掘されたままの姿で保存展示されている。ここから真っすぐに南に伸びる武蔵路跡を歩き、想像していたよりも大きな道路を実感しつつ市立歴史公園「史跡東山道武蔵路跡」を訪れた。ここには、かつてここから見えた東山道武蔵路と武蔵国分寺の景色を描いた絵が掲示されており、鑑賞。その後、「武蔵国分寺伽藍地北辺の溝跡」を見学し史跡の駅に移動。ここでボランティアガイドの方から武蔵国分寺資料館、国分寺、武蔵国分寺七重塔跡・金堂跡・講堂跡の説明をしていただいた。金堂跡では基壇と須弥壇が、講堂跡では基壇がそれぞれ復元されており、着実に史跡の整備が進んでいる。説明の最後に武蔵国分寺資料館に集まり、集合写真を撮った。
武蔵国分寺跡から西に歩き武蔵野線の高架下付近にて、このあたりにはかつて東山道武蔵路が通っていたことを確認し武蔵国分尼寺跡に到着。金堂跡の復元整備が進んでおり、金堂基壇(版築)の断面を見学。北府中駅から府中本町へ移動。最近整備が進んでいる駅横の「武蔵国府跡 国司館地区・徳川家康府中御殿跡」を見学。終了後、駅周辺にて各自自由に昼食をとる。
午後はまず「武蔵国府跡 国衙地区」を訪れ、国府官庁街の中心であったことを確認。国府跡から出土した瓦や塼(せん、古代のレンガ)、灰釉陶器などを展示している「ふるさと府中歴史館」を見学。ここで空模様が怪しいため、残念ながら高安寺見学の省略。その後、大國魂神社を参拝し、府中本町から西府駅に移動。「武蔵府中熊野神社古墳」を訪れた。この古墳は7世紀中頃の築造で、下の2段が方形で上段が円形の上円下方墳で非常に珍しい形。最近、古墳全体が石で覆われた築城当時の姿に復元整備され、非常に美しい姿を見せている。展示館ボランティアガイドの方から古墳に関する説明を受けた。古墳見学後、展示館にて出土遺物などを見学。「七曜文(しちようもん)」が刻まれていた鞘尻金具(さやじりかなぐ)である。また、この展示館には復元された石室模型が併設、頭にヘルメットをつけて見学した。展示館敷地内で終了式を行い、解散。武蔵小金井駅には15時50分に帰着した。    (参加者数 44名)

2019年05月14日

常陸桜川と真壁を訪ねました

紀行文

4月9日(火)「常陸桜川と雨引観音、真壁の町並みを巡る」   担当(織壁、関口、曽根、塚田)
前日と翌日が天候不順なのに、この日は快晴、絶好の花見日和となった。朝7時20分に小金井を出発し、首都高速、常磐道を経て予定どおり桜川磯部稲村神社に到着。桜川市ヤマザクラ課の渡邉さんが出迎えてくれ、小金井との桜の交流について話された。「江戸時代に苗木が桜川から隅田川や小金井におくられています。小金井桜のふるさとです」おりしも神社の糸桜が満開、山桜もきれいに咲いていた。宮司さんも話され「紀貫之が和歌に桜川のことを詠み、平安時代から都に知られていました」など由緒を語られた。神社の拝殿と桜を背景に宮司さんと集合写真を撮った。
20分ほどで雨引観音・楽法寺。「一に安産、二に子育て・・」と詠まれる寺。参加者は何を願うか? とにかくお参りした。開祖は飛鳥時代との伝説もあるほど歴史のあるお寺。大きな観音堂、多宝塔、仁王門など多くの建物があり想像していたよりはるかに大きく、一同感心。幸運にも境内にいるといわれる孔雀を見ることができたのは10人ほどだった。真壁の町に入り、歴史的建造物の伊勢屋旅館で田舎料理の昼食。けんちん汁、桜でんぶ飯などを味わう。真壁の町は茨城・石岡から栃木・真岡へ通じる要衝、歴史ある町だ。戦国時代までは真壁氏、江戸時代は浅野氏などが治めた。江戸はじめの町割りが400年も変わっていない。木綿や絹の流通で栄えた。「幕末から明治になると商家などが立派な門を構えました」と真壁のボランティアさん。田舎の三越と呼ばれる「潮田家」や笠間藩御用達「星野家」など国の登録有形文化財を見学。15時に帰途に就き、18時前に小金井帰着。 (59名参加)

2019年04月09日

杉並の南部を巡りました

紀行文

3月12日(火)「杉並の南部を巡る」            担当(馬淵、森、柏倉、佐藤(夕))
急に暖かくなり好天に恵まれ、絶好の春の見学会日和となった。天候が良かったせいか多くの方の参加を得た。
武蔵小金井駅8時42分の上り始発に乗車し、吉祥寺経由で井の頭線永福町にて下車。最初に訪れたのは杉並区立郷土博物館。若い学芸員の方から常設展示と庭の移築古民家について、丁寧な説明をしていただいた。杉並区は、善福寺川や神田川など多くの河川が東流していることから、古代から中世、近世、近現代まで人々の営みが継続しており旧跡が多いが、説明を聞いてよく理解できた。この付近一帯は善福寺川両岸に広がる広大な和田堀公園となっており、博物館を出た後に公園内の各所を訪れた。松ノ木遺跡は、非常に多くの縄文時代から古墳時代の住居跡が埋まっているが、現在は松ノ木中学校などが建っており遺跡の雰囲気はないものの、復元住居が展示されている。残念ながらコンクリート製であった。その後、バードウォッチングが出来る和田堀池をゆっくりと一周し、大宮遺跡を訪れた。ここは高台にあり当時から神聖な祭祀域であり、時を経て大宮八幡宮の境内と重なっている。隣の大宮八幡宮は広大な境内を有し、社殿も非常に立派である。八幡宮を出た後は西永福駅まで歩き吉祥寺経由で荻窪駅へ移動、12時10分着。駅周辺で各自昼食をとっていただいた。
午後は13時20分に再開。先ず明治天皇荻窪御小休所を訪れた。明治天皇は何度かここを利用されたが、明治16年4月23日観桜のために小金井へ行幸された折もここで休息されており、小金井とは縁のあるところである。
次に訪れたのは大田黒公園。音楽評論家であった大田黒元雄氏の邸跡で、広い日本庭園が保存・維持されておりゆっくり散策できた。池には小千谷市から贈られた立派な錦鯉が泳いでいる。レンガ色の瀟洒な記念館の前で集合写真を撮った。公園敷地の隣では現在3階建ではあるがマンション建設中で、景観の面で少し残念である。歩いて5分ほどで角川庭園に到着。ここは角川書店の創始者である角川源義氏の旧宅を杉並区が寄贈を受けて改修し公開している。職員の方から庭園について詳細な説明をしていただいた。庭に実っていたキンカンを「皆さんどうぞ食べてください」と言われビックリ。おいしくいただいた。庭の片隅にある水琴窟は、雅な音色を出していた。
その次に訪れたのは荻外荘である。ここは、首相を3度務めた近衛文麿が昭和12年から住み始め、多くの重要な政治会談を行った場所で、政治に関する遺跡として国の史跡に指定されている。邸の周りは残念ながら金網の柵で囲われておりそばには近づけない。当時の客間や応接部分を含む邸宅の一部は、現在豊島区に移築されているが近い将来再移築し、元の姿に復元する計画が進んでいるようである。邸の南側には当時大きな池があったが、今は子供が遊ぶ芝生となっている。
(皆さんかなり歩いて疲れていたため、この後予定していた与謝野公園はパス)
最後に訪れたのは光明院。この寺の辺りは、昔は「荻」が生い茂っており荻寺と呼ばれ荻窪の名の由来になったといわれている。現在は残念ながら荻寺の面影はない。境内で終了式を行い、荻窪駅で解散。武蔵小金井駅には16時20分頃帰着。                  (参加者 61人)

2019年03月12日

房総の村と加曽利貝塚を訪れました

紀行文

(1)2月19日(火)千葉 房総のむらと加曾利貝塚を訪ねる  担当(塚田、桜井、島田、織壁)
小金井を8時15分に出発。早春の小雨が降る中、バスで3時間ほどかけて印旛郡「房総のむら」に到着。ここは千葉県有数の規模を誇る龍角寺古墳群が
ある。まず岩屋古墳。ボランティアガイドさん「地山を利用、三段作りで一辺108mの大きな方墳を作りました。周囲に二重の堀があります」
「石室が見えます。それで岩屋と名付けられました」。次に明治32年建築の旧学習院初等科正堂を見る。重要文化財。隣村に三里塚御料牧場があった
縁で譲り受け、小学校講堂として使っていたそうだ。101号古墳は小さな古墳だが、埴輪が再現・陳列されていて見ごたえがある。ここで発掘された
埴輪の実物が風土記の丘博物館に展示されている。博物館には古墳の石室や鉄剣、鏃、古代寺院・龍角寺の瓦などを展示。「霞ケ浦周辺は古代に栄えた
時代があったのです」と。また房総のむらには江戸時代の武家屋敷、大きな農家や佐原市などの古い商家を16棟再現した町並みがある。小学生たちが
遠足にきていた。商家の町並みで集合写真。農家レストランで二色カレーセットの昼食。うまい!と評判だった。
午後、1時間ほどで加曾利貝塚に着く。待ち受けた学芸員が「国の特別史跡です。物でいえば国宝です」と誇らしく話す。ボランティアガイドさんの
解説でまわる。「全国2400の貝塚の三分の一が東京湾沿岸です。この地域は数だけでなく規模が群を抜いています」。博物館には貝類、土器、土偶、
装飾品などを展示。土器は加曾利式の名にもなった。貝類だけでなく、人骨、獣骨なども出土。「犬の骨はそろって出土、大切に狩りにつれていった
ようです」。140mと190mの環状の南・北貝塚は東京ドーム2個ほどある。貝塚断面観覧施設がある。イボカサゴ、ハマグリ、アサリなどの貝類、
犬の骨も見える。貝殻のカルシュウムで土壌が中和され、動物の骨が良好な状態で保存されているのが特色。「ここは住宅地などになる危機があり、
保存運動が行われたことも知ってください」と話す。雨も上がって3時半出発、5時半過に小金井に帰着。
(参加者58名)

2019年02月19日

東海七福神とその周辺を巡りました

紀行文

1月8日(火)初詣 東海七福神とその周辺を巡る        担当(小林、織壁、間島、岡田)
快晴だが寒中の季節通りの気温で、特に朝8時10分の三浦屋前広場の集合時には手先がかじかんだ。8時33分の始発に乗り、京急線の新馬場駅に10時10分着。
7班に分かれ、それぞれにガイドさんが付き巡った。点呼後出発。徒歩15分ほどで、まず訪れたのは近代硝子工業発祥の碑である。明治6年(1873) この地に日本最初の近代硝子工業所が設立されたが、経営不振から解散した。碑のみが道端にひっそりと立っている。小道を入り数分で東海寺の大山墓地に着いた。東海寺は徳川家光が沢庵を招聘して創建。幕府による手厚い保護を受けていたが、明治維新後、寺領は新政府に接収され衰退。墓地は残り、沢庵墓(国史跡)、国学者賀茂真淵墓(国史跡)、鉄道の父と言われた井上勝、新しいところでは品川出身の島倉千代子の墓など 多くの有名人の墓がある。
七福神巡りの第一番は、新馬場駅横の丘の上の品川神社(大黒天) である。この神社も徳川家の保護を受けていたが、現在まで生き残って、当日は会社の団体の参詣で賑わっていた。拝殿の奥の方の正面に20cm位の大黒天が鎮座していた。参拝後、社の後ろを回った所に、板垣退助の墓があった。見学後山を下り数分で養願寺(ようがんじ、布袋尊) に着く。天台宗の小さな寺で本尊は虚空蔵菩薩。布袋尊は本堂の賽銭箱のすぐ前に安置されていた。次の一心寺(いっしんじ、寿老人) は養願寺から30mほどの所にあり、同じような小さな寺で本尊は不動明王。寿老人は同じように前面の見やすい場所に安置されていた。次の聖蹟公園は品川宿本陣跡という石碑のみ見て通過。5分ほどの荏原神社(恵比寿) は、和銅2年(709) の創建で、現在でも府中の大國魂神社の神職は例祭のくらやみ祭りに際し荏原神社に参詣し禊を行うほどの由緒ある神社である。残念ながら拝殿の扉は締切ってあり、恵比寿は何処に祀ってあるのか全くわからなかった。また歩いて20分程で品川寺(ほんせんじ、毘沙門天) に着いた。真言宗醍醐派の別格本山で、本尊は水月(みづき)観音だが秘仏のため前立として通常は聖観音が置かれている。が当日は聖観音の代わりに毘沙門天が置いてあった。12時半だったのでガイドさんはここで終了。付近で各自自由に昼食をとった。
午後は京急線で立会川まで乗車。駅そばの天祖諏訪神社(福禄寿) に詣でる。1mほどの福禄寿の木像は、拝殿の中ではなく横の事務所の一部を改造し置いてある。拝んだ後その頭を撫でるとご利益がありますと札が下がっていて、皆撫でていた。また京急線に1駅乗り大森海岸駅そばの最後の七福神、磐井神社(いわいじんじゃ、弁財天) に着く。この神社は平安時代に編纂された延喜式神明牒に記載されている古社。社殿の左の池の中に弁天島が作られており、小さな社の扉は開かれ、中に琵琶を持った弁財天が祀られていた。境内の一廓で終了行事を行い、14時30分現地解散した。(参加者59名)

2019年01月08日

大磯を巡りました

紀行文

12月11日(火)師走の神奈川県大磯町を歩く      担当(関口、島田、塚田、佐藤(環))
気温が今季最低水準だった朝。2台のバスに分乗して、中町のリサイクルセンターを午前8時に出発。10時15分過ぎにJR大磯駅のロータリーに到着した。67名の大所帯のため、A,Bの2班に分かれて見学を始める。A班は、まず島崎藤村の墓に向かう。承和4年(837) の創建と伝えられる地福寺の境内にあり、梅の古木に囲まれて静かに眠るその傍らには妻の静子さんの墓も。墓碑は文化勲章の受章者で建築家の谷口吉郎博士の設計になるもので、簡素なものだった。曇天の中、新島襄の終焉の地へ歩みを進める。石碑は愛弟子の徳富蘇峰の筆によるもので、熱心に見入る参加者もいた。そこから数分の鴫立庵へ。西行法師の歌で名高い「鴫立沢(しぎたつさわ)」に、寛文4年(1664)小田原の崇雪という人が草庵を結んだことが始まり。京都の落柿舎(らくししゃ)、滋賀の無名庵と共に日本三大俳諧道場と言われる。ここまでに1時間を要した。B 班と合流すべくJR大磯駅や澤田美喜記念館に向かう。ちなみに、B班は澤田美喜記念館を最初に見学して、地福寺、新島襄終焉の地、鴫立庵へと回っている。三菱財閥初代総帥・岩崎彌太郎の孫である澤田美喜は、戦後、混血児教育に情熱を傾けた。生前の遺思を引き継ぎ、この記念館は開設された。戦前・戦後の40年に亘って同氏が蒐集した江戸時代の隠れキリシタンの遺物や関連資料などの貴重な資料ばかりで、参加者は西田館長の説明に熱心に聞き入っていた。この後、バスに分乗、大磯港にある駐車場へ。寒さの中、参加者はバスの中で持参した昼食を済ませた。
午後は12時50分、明治記念大磯邸園の見学から始まった。明治維新150年記念として一般公開を始めた旧大隈重信邸や旧陸奥宗光邸の邸園などを参観した。公開は今年末までで、以後の公開は未定という。貴重な機会だった。次の県立大磯城山公園にある旧吉田茂邸は吉田茂首相の養父が建てた別荘が始まり。平成21年に焼失したが、平成28年に再建された。和風建築の粋を集めた造作には素晴らしいものがあった。また、次の旧三井邸城山荘をモチーフにした郷土資料館は健脚組のみが見学した。吉田邸の見学あたりから細かい雨が降り出す。朝からではなく、見学会終盤で助かった。雨の小金井に帰着したのは5時半過ぎだった。             (参加者67名)


2018年12月11日

多摩の酒造会社を訪ねました

紀行文

11月14日(水)多摩の酒造会社を訪ねる          担当(間島、馬淵、嵯峨山、柏倉)
この見学会は、日本酒を飲まない方、特に女性の参加者は少ないかなと少し心配していたが、お酒が飲めない方でも十分楽しめますとの企画と宣伝が功を奏したのか、結果的に多くの女性含め46名の参加を得た。当日は晩秋の見学会にふさわしい絶好の日和に恵まれ、快適な一日を過ごすことが出来た。朝8時15分に集合、8:44分発の青梅行きに乗車し、拝島駅で下車。ゆっくりと多摩川方面に歩き、約15分で石川酒造に到着。
石川酒造の正門を入って正面の杉玉が吊るしてある酒蔵の前でまず集合写真を撮った。その後、石川酒造の職員の方から敷地内の建造物や酒蔵内で丁寧な説明を受けた。酒蔵では、「三段仕込み」の理由や作業内容、「大吟醸」はお米の外側を削る精米の割合が50%以上、等々いろいろな詳しい説明を受けた。説明後は皆さんが楽しみにしていた試飲となった。新酒の他、日本酒で造った梅酒もいただけた。今回の昼食は、全員が一緒に食事できるようにとの間島幹事の企画を、石川酒造さんの特別の計らいで、国の登録有形文化財建造物(「向蔵ビール工房」の二階)を使用させていただいた。この二階は落着いた雰囲気のある非常に大きな広間となっており、予約していた仕出し弁当の素材も味も良く、大変好評であった。食前酒には、一階ビール工房の出来立て地ビールや「多満自慢」の新酒を飲むことが出来た。
石川酒造から徒歩で拝島駅に戻り、羽村駅まで青梅線で移動。羽村駅に到着する直前に塚田役員から、羽村駅北口にある「まいまいず井戸」見学の飛び入り提案がなされ、急遽見学。その後、駅南口に移動し多摩川を目指して歩いた。羽村取水堰は、多摩川の河口から54kmのところにある玉川上水の取り入れ口である。玉川上水は1653年に完成したといわれ、取り入れ口のほとりには開削に尽力した玉川兄弟の像が立っている。ここから玉川上水に沿って歩くと、ほどなく第三水門と羽村導水ポンプ所が見えてきた。ここで山口貯水池と村山貯水池への導水と玉川上水とに配分しているので、ここからの玉川上水は急に狭くなる。その後、非常に静かで緑豊かな上水沿いの小道を、途中休憩をとりながら25分ほど歩き、ようやく煉瓦煙突が見えてきた時には歓声が上がった。田村酒造に到着である。田村酒造の酒蔵には、かつての酒蔵のシンボルである「煉瓦煙突」が残っており、大変美しい姿を見せている。ここでは、酒蔵見学の他、敷地内見学で田村分水の取り入れ口も見学できた。田村分水は玉川上水からの数少ない個人分水であり、当時は敷地内にあった水車で、精米や発電に利用していたそうである。田村酒造見学の最後も、皆さんが楽しみにしていた試飲で締めくくった。併せて多くの方が「嘉泉」の新酒を購入していた。
最後に、田村酒造から徒歩5分の所にある「旧ヤマジュウ田村家住宅」を訪問。事前に小金井史談会の名前で団体予約をいれていたが、見学人数が約50人とのことから福生市教育委員会文化財係長以下4名の方から非常に親切丁寧な説明をいただいたので見学予定時間をだいぶ超え、武蔵小金井駅帰着は17時半となった。                      (参加者46名)
                   

2018年11月14日

稲城市の寺社を巡りました

紀行文

10月9日(火)稲城市の寺社を巡る         担当(坂本、佐藤(環)、中島、閑野)
JR武蔵小金井駅を8時32分に出発。西国分寺で武蔵野線に、府中本町で南武線に乗り換え、矢野口駅に9時過ぎに到着、下車し点呼。
ボランティアガイドさん2名の歓迎を受ける。今回の見学会は全工程をこの2名のガイドさんにガイドして頂いた。感謝。9時20分出発。
先ず駅の北側にある14基の馬頭観音像、矢野口渡し跡を見学。南に転じて、穴澤神社へ向かう。急峻な男坂とやや緩やかな女坂と二つの
道がある。44名の参加者中約10名が勇気を奮って男坂へ。女坂組とは頂上のお社で合流した。延喜式にある武蔵国多磨郡穴澤神社に当たると
言われている古社だ。下りは男坂組も女坂を選んで下りた。途中に「東京の名湧水57選」にも選ばれた湧水と小さな洞窟があった。
京王相模原線の高架を潜って、妙覚寺へ向かう。ここでも本堂までは踏み込みの広い階段が続く。境内には筆塚と板碑、鐘楼があった。
板碑は緑泥片岩製で享徳3年(1454)の銘があり相当古いモノだった。少し歩いて京王相模原線の京王よみうりランド駅から1駅乗車し稲城駅で
下車。天台宗妙見寺と妙見尊は明治以降も神仏習合を続けている珍しい状態で、妙見尊を妙見寺が今でも別当寺として管理している。
妙見寺から急な階段を登って、11時55分に妙見尊に辿り着く。妙見尊の星祭りは有名。境内にある星供養百年祭記念碑(大正10年(1921)の銘)には
小金井村からの3名、手水石(明治11年(1878)の銘)には1名の名を確認できた。多摩川を越えた交流の跡を示しており、この地が小金井からの
信仰の対象となっていたことがわかる。大分お腹も空いてきたが、お昼の前に訪れたのが「常楽寺」。阿弥陀堂外陣の鏡天井には、
江戸時代中期の絵師、相沢五流による飛天図が描かれており、稲城市観光課長の協力と寺側の好意で史談会一行に公開された。
午後1時前に稲城市役所に到着。地下の職員食堂で観光課長からの歓迎の挨拶を受けながら、お昼をいただく。約1時間の休憩の後、延喜式内社の
一つとも言われる青渭神社は向かう。途中、漢学者の窪全亮が明治13年(1880)に設立した私塾「奚義塾」跡に建つ頌徳碑も見学した。
10分ほどでJR稲城駅に到着。14時45分現地解散。解散後、駅横の売店でてんでに名物の梨のアイスクリームや土産物を買う姿が
目立った。約16000歩。よく歩いた。      (参加者44名)


2018年10月09日

宇都宮方面を訪れました

紀行文

9月11日(火) 大谷石資料館と宇都宮周辺を訪ねる  担当(織壁、閑野、宮崎、松下)           
この見学会は大人気、定員以上の申込みがあったが最終的には59名。前日までの猛暑が一転涼しくなったこの日、補助席いっぱいで
7時半出発、宇都宮へバスで3時間。大谷資料館は宇都宮近郊にある。「大谷石は火山から噴出した火山灰が海水中に沈殿して固まったものです」
「ここは地下30メートルです、深いとこで60メートル、そこまで行ったら帰ってこられません、ハハハ!」ボランティアさんは楽しそうだ。
「石一本の大きさは90×30㎝、75㎏あります、昔は人が背負って運び出しました、重労働です。」
いつか陥没したことがありますね?と聞くと「思い出させたくありません、ハハハ! 今は、市がセンサーつけて常時監視しています」とのこと。
大正時代からはじまり昭和40年頃まで採掘。今は、資料館だが、映画の撮影や音楽イベントに使われている。「音を出すと響きます、ほら、
パーーン!」この日の構内気温は14度、ひんやりと気持ちよかった。
 大谷寺の縁起は平安時代と言われ「この岩山には、平安時代初めに掘られた千手観音がおられます。岩面に掘られ、最初は金箔で輝いていました。
日本のシルクロード仏と言われています。」ご住職が説明。釈迦如来像、薬師如来、阿弥陀三尊もある。「薬師様のお腹がでているのは心の豊かさ
の象徴、ハハハ!」と楽しい説教。またこの場所には縄文時代の遺跡もあり人骨も出土、展示されている。また大谷寺境内と地続きの宇都宮市立公園
には、今回の大戦の戦死者の供養と世界平和を祈って、高さ27mの平和観音が彫像されている。市内中心の二荒山神社はかつて宇都宮氏が
社家をつとめ、下野一之宮だ。4~50段もある階段がきつい。神社前の〝ドンキー〟の地下には宇都宮のたくさんの餃子屋が一堂に会してる。
ウィークデーなのに意外に混んで、約60人が食べるのに一苦労。一同「うまかった、たくさん食べられた!」と満足。
宇都宮城跡では「この城は天守閣もなく、石垣でなく土塁でした。それは本多正純が幕府に気兼ねしたためです。有名な『宇都宮釣り天井の話』
は作り話です。」「戊辰戦争の時、土方歳三など幕軍に焼かれました」 関東七名城であったそうだが、面影はないが、ボランティアさんの
話しで昔を偲ぶ。復元された土塁、櫓、門は全てコンクリート製で、堀は水深20cm程で底のコンクリートが見えるのはちょっと味気なかった。
午後3時前に宇都宮インターから帰途に、5時半小金井に帰着。   (参加者59名)

2018年09月11日

小金井市内歴史散歩

紀行文

8月7日(火) 小金井市内歴史散歩 金蔵院から小金井神社を訪ねる 担当(閑野、中島、柏倉、本田)
今年の夏は、統計を取り始めて以来の猛暑日が続くなか、会員の体調も考え、15時より2時間のみの見学会とした。
当日は台風による雨の予報で心配したが、曇天で風も弱く、出発時間には30名が集まった。イトーヨーカドー・三浦屋前を出発、質屋坂を下り
小金井街道・薬師道交差点のトンネルを見学。戦後進駐軍があっという間に道幅を広げたそうな。次に金蔵院に向かった。
寺域内で江戸期の石造物として2つの供養塔と六地蔵を見学。また明治期以降の物として、合同供養塔(明治23年(1890) 尋常小学校の訓導で
若くして病死した森田猪三郎氏と、たき火の火が移り不慮の死を遂げた学童との合同慰霊碑)と、鶏供養塔(昭和26年 日米講和条約が
結ばれた年に平和を喜び、実験研究にも使われた鶏を供養する為、小金井愛鶏会が建立した珍しい供養碑)を見学した。次の鴨下・関家墓地では、
地蔵庚申塔(寛文6年(1666) 小金井では滄浪泉園に有る地蔵庚申塔に次いで2番目に古い)を見学。そして、小金井小次郎の墓石
(明治14年(1881) 220名の氏名が有り東京・神奈川以外にも栃木・茨城・群馬の名も有る)と、追悼碑(明治35年(1902))、
ならびに、鴨下製糸創始者の鴨下玉松氏の墓を見学した。その後、小金井神社に移動。石段上の狛犬(明治13年 (1880)小金井小次郎が
亡くなる前の年に奉納)、鳥居(天保14年(1843))、力石(天保9年(1838))を見学後、神職の方の案内で拝殿に上がらせていただき
正式参拝をした。参拝後、茅の輪の説明、拝殿内の3つの奉納額の説明をしていただいた後、外に出て御神木の話や、境内社3社の話を伺い、
社殿前で記念写真を撮り17時に現地散会した。小金井神社での貴重なお話と同時に、小金井の石造物調査(担当 中島・閑野)の
一端を理解していただけたと思う。      (参加者30名)

2018年08月07日
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