最近の活動です

活動・見学会報告

青梅を巡りました

2019年07月09日

北口本宮浅間神社と忍野八海を巡りました

紀行文

6月11日(火)北口本宮冨士浅間神社と忍野八海を巡る    担当(小林、間島、桜井、池田)
6月7日の入梅から四日目で、天気予報は雨だったが、幹事の念力が通じたのか、明け方まで降っていた雨は集合時間には上がり、日中は日差しも出て快適な見学会となった。朝8時10分に60人乗りの大型観光バスで小金井を出発。キューピー富士吉田工場には予定時刻10時30分より40分も早い、9時50分に到着。2班に分かれ、1班(29人)は1時間のキューピー工場見学、もう1班(28人)はバスで10分程の北口本宮冨士浅間神社を約1時間見学した。これはキューピー工場の受け入れ人数に制限があった為である。昼食は全員で浅間神社横の茶屋で名物のほうとう鍋を食べ、午後は見学先を入れ替えて見学した。
キューピー富士吉田工場は、さすがに食品工場というに相応しい清潔な工場である。見学通路と工場はガラスで完全に仕切られており、おかゆの製造では、一袋づつ米の投入、水と調味料を混ぜ加熱して粥にし、冷やして後パッキング、段ボール箱への積込みが無人で行なわれる。見学後は、試食室でおかゆ、トロピカルミックス(酢のジュース)などを試食し、最後にドレッシングとおかゆのお土産付きで、皆大いに満足した。
北口本宮冨士浅間神社は、浅間神社の格としては低いが、吉田口登山道の起点であり、平成25年(2013)富士山が世界遺産に登録された時、神社・登山道がその構成資産になったため、大いに羽振りを利かしている。境内の説明はガイドさんにお願いした。面白かったのは本殿の経緯で、始め武田信玄が造営した本殿を豊臣秀吉が横に退けて前よりも大きい本殿を作り、徳川家康がまた退けて更に大きな本殿を造った。そのため本殿の四方にある樹齢千年と言われるご神木が邪魔をしているので屋根を切欠いている。本殿、拝殿などほとんどの建造物が国指定の重要文化財である。鬱蒼とした杉木立の中の神社は荘厳な雰囲気に満ちていた。両班合流して忍野八海へ。
 忍野八海とは、富士山の雪解け水が地下の溶岩の間で約20年の歳月を経てろ過され、湧水となって8か所の泉をつくる。古くは信者たちが富士登山前にここで水行を行ったとされるが、その後荒廃していた。天保14年(1843)、長百姓大寄友右衛門が忍野八海、富士講を再興し、各池に守護神の八大龍王を祀り、石碑に和歌を刻み巡礼路を整備した。平成25年世界文化遺産に登録。近年個人が人工の池を作り、多くの観光客がこの人工の池を忍野八海と誤認しているようだ。3班に分かれ、本来の忍野八海をガイドさんの説明で巡った。観光客も少なく池の底から湧水が静かに噴出るのが見えた。
15時30分忍野八海発、17時20分小金井着。                (参加者57名)

2019年06月11日

松江・出雲・石見銀山の歴史史跡を巡りました

紀行文1

5月20日(月)~22日(水)「島根 松江城、出雲、石見銀山を訪ねる」その①
担当(塚田、織壁、間島、嵯峨山、佐藤(夕)、馬淵)
史談会初めての飛行機を使っての見学会、出雲と石見を訪ねた。20日朝7時35分発の日航便で出雲縁結び空港に向かい、9時に到着、地元の一畑観光バスが出迎え。空に雲がやや多く、少し波が荒い宍道湖を右に見ながら松江中心部に向かう。途中、斐伊川をわたる。「この川はヤマタノオロチの神話の川です」と運転手さん。出雲は神話の国だ。ホテルに荷物を預け松江城に見学に行く。
松江城天守が2015年に国宝に指定されたことから、ボランティアさんの解説にも力が入る。「この城を作った大名は誰でしょう? 堀尾吉晴です。秀吉恩顧の部下で築城に優れていました」城の中に入ると、国宝指定の決定打となった祈祷札は「慶長拾六年…」とあった。1611年に築城されたことが証明された。「この階段は桐材です。火に強く、丈夫です」急な階段を登り天守最上階へ。四方の見晴らしがよい。南には宍道湖が見え、北には武家屋敷が連なる。
松江と言えば小泉八雲、『怪談』などの著作で知られる。旧居には八雲が使った机などがあり、純和風の家だ。「ここで怪談・民話を書きました」「一神教の西欧ではない日本が好きでした」。松江城の「掘川めぐり」ツアーは「橋は背を屈めないと通れません、注意!」と船頭さん。堀から見上げても見えるのは石垣ばかりだが、城の天守も少し見える。小一時間の船旅を終え、ホテルにもどり温泉につかる。この日、松江城山稲荷神社の渡御際ホーランエンヤの期間。10年に一度、約100隻の舟が大橋川と意宇川を舞台に繰り広げる大船行列。渡御の舟を見ることはできなかったが、堀川めぐり事務所で記念の手ぬぐいをタダでいただいた。いい記念だ。夕食は居酒屋で松江名物を味わう。
二日目はホテルを8時に出発、50分ほどで足立美術館に着いた。9時開館前なのにたくさんの観光バス、すでに団体客は入場開始、人気だ。足立美術館の名は聞いているが、創立者の足立全康氏は知らない。貧農に生まれ、丁稚奉公などをへて実業家として成功したとある(ひとことでは言えない)。貧しい時、横山大観の絵にふれ、絵画にめざめた。収集日本画を展示する美術館をつくるにあたって、何よりも庭園に力を入れ、背景の山々も借景にした日本庭園を造った。米国の日本庭園専門誌「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」による庭園ランキングで、16年連続日本一に選ばれている。この日空は真っ青雲一つない、奇跡の晴天。日本庭園の美しいこと。横山大観をはじめとする日本画家の展示に圧倒され、一同感激。

5月20日(月)~22日(水)「島根 松江城、出雲、石見銀山を訪ねる」その②
5月21日昼頃、足立美術館を出た後は、宍道湖の水面を見ながら、大田市の石見銀山に向かう。今日は波もおだやか。宍道湖畔で昼食の後、1時間40分で石見銀山駐車場に到着。ここから先は環境保全のため電動自転車を使う。世界遺産・石見銀山ガイドの会のみなさんがお迎え。「この銀山は小金井とも関係が深いのです。川崎平右衛門は江戸中期ここにきて銀山の再興に力を発揮しました。その後3代にわたり代官をつとめました」そこから間歩(坑道)に向かう。山は緑に囲まれウグイスの声が聞こえる。「あれが千の山、山を中心に銀鉱脈があります。戦国時代「灰吹き法」が朝鮮から伝えられ生産が一挙に増えました。大名間の争奪がはげしくなりました」と銀山の歴史と銀製法を説明。電動自転車に慣れ、坂道を上って龍源寺間歩に到着。坑道にはライトがついているが暗い。暗い坑道を味わいながら約40分、鉱脈跡、横穴、立坑、水抜き坑などの解説を受けた。他のグループは熊谷家など石見銀山のお膝元で発展した大森の町並みを訪ねた。
二日目の宿は温泉津(ゆのつ)温泉だ。戦国、江戸時代は銀の積出港として、また温泉地として栄えてきた。温泉津の町は江戸の頃から配置がかわらず、重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。「外湯は薬師湯と元湯があります。ぬるいほうは43度、少し熱いのは46~7度でしょうか」と仲居さんの話。えぇっ!これは大変だ。入りに行ったのは数名らしい。
三日目は、さらに青空、雲一つない。出雲大社に向かう。今回は事前に申込、正式参拝となった。特に認められて、神主さんの先導で瑞垣の中、本殿前まで行き拝礼。そして大社についての説明を受ける。「こんな晴れは珍しい。出雲は八雲たつと言われるように雲と湿気が多いのです」と神主さんは開口一番。「大社は正式にはオオヤシロと言います。今年は60年に一回の遷宮。出雲大社は、建物の建て替えではなく、檜皮のふき替えなど補修が中心ですが、檜の皮を集めるだけでも大変。総額百億円以上かかります」「祭神は大国主命です。大黒天とは違います」「朝と晩、新鮮な食事、贄と言いますが毎日お供えします」などと歴史や式年遷宮についての話を聞く。
島根県立古代出雲歴史博物館は、出雲大社を中心とした古代出雲についての展示をしている。主な展示物は、荒神谷遺跡より出土した銅剣358本・銅矛16本、銅鐸6個(以上国宝)、加茂岩倉遺跡より出土した国宝の銅鐸39個、平安時代の出雲大社本殿を再現した10分の1の模型などであり、石見銀山など旧石見国も含めた島根県全体の歴史についての展示もある。中央ロビーには、2000年に出雲大社境内から出土した宇豆柱(うづばしら)。
帰りの羽田便は、残念ながら2グループに分かれた。16時15分発のグループは博物館見学後空港から羽田に向かい、19時25分発のグループは島根半島の西端に位置する日御碕(ひのみさき)神社、古代出雲歴史博物館を見学し羽田に向かった。    

紀行文2

5月20日(月)~22日(水)「島根 松江城、出雲、石見銀山を訪ねる」その②
5月21日昼頃、足立美術館を出た後は、宍道湖の水面を見ながら、大田市の石見銀山に向かう。今日は波もおだやか。宍道湖畔で昼食の後、1時間40分で石見銀山駐車場に到着。ここから先は環境保全のため電動自転車を使う。世界遺産・石見銀山ガイドの会のみなさんがお迎え。「この銀山は小金井とも関係が深いのです。川崎平右衛門は江戸中期ここにきて銀山の再興に力を発揮しました。その後3代にわたり代官をつとめました」そこから間歩(坑道)に向かう。山は緑に囲まれウグイスの声が聞こえる。「あれが千の山、山を中心に銀鉱脈があります。戦国時代「灰吹き法」が朝鮮から伝えられ生産が一挙に増えました。大名間の争奪がはげしくなりました」と銀山の歴史と銀製法を説明。電動自転車に慣れ、坂道を上って龍源寺間歩に到着。坑道にはライトがついているが暗い。暗い坑道を味わいながら約40分、鉱脈跡、横穴、立坑、水抜き坑などの解説を受けた。他のグループは熊谷家など石見銀山のお膝元で発展した大森の町並みを訪ねた。
二日目の宿は温泉津(ゆのつ)温泉だ。戦国、江戸時代は銀の積出港として、また温泉地として栄えてきた。温泉津の町は江戸の頃から配置がかわらず、重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。「外湯は薬師湯と元湯があります。ぬるいほうは43度、少し熱いのは46~7度でしょうか」と仲居さんの話。えぇっ!これは大変だ。入りに行ったのは数名らしい。
三日目は、さらに青空、雲一つない。出雲大社に向かう。今回は事前に申込、正式参拝となった。特に認められて、神主さんの先導で瑞垣の中、本殿前まで行き拝礼。そして大社についての説明を受ける。「こんな晴れは珍しい。出雲は八雲たつと言われるように雲と湿気が多いのです」と神主さんは開口一番。「大社は正式にはオオヤシロと言います。今年は60年に一回の遷宮。出雲大社は、建物の建て替えではなく、檜皮のふき替えなど補修が中心ですが、檜の皮を集めるだけでも大変。総額百億円以上かかります」「祭神は大国主命です。大黒天とは違います」「朝と晩、新鮮な食事、贄と言いますが毎日お供えします」などと歴史や式年遷宮についての話を聞く。
島根県立古代出雲歴史博物館は、出雲大社を中心とした古代出雲についての展示をしている。主な展示物は、荒神谷遺跡より出土した銅剣358本・銅矛16本、銅鐸6個(以上国宝)、加茂岩倉遺跡より出土した国宝の銅鐸39個、平安時代の出雲大社本殿を再現した10分の1の模型などであり、石見銀山など旧石見国も含めた島根県全体の歴史についての展示もある。中央ロビーには、2000年に出雲大社境内から出土した宇豆柱(うづばしら)。
帰りの羽田便は、残念ながら2グループに分かれた。16時15分発のグループは博物館見学後空港から羽田に向かい、19時25分発のグループは島根半島の西端に位置する日御碕(ひのみさき)神社、古代出雲歴史博物館を見学し羽田に向かった。         (参加者 23人)

2019年05月20日

武蔵野の古代中心地と中世近世要地を巡りました

紀行文

5月14日(火)「武蔵国の古代中心地と中世近世の要地を巡る」 担当(馬淵、嵯峨山、中島、岡田)
令和に替わり最初の見学会となった。小雨模様のせいか参加者数が少なかった。武蔵小金井駅8時38分発に乗り、西国分寺駅にて下車。
最初に訪れたのは「東山道武蔵路遺構再生展示施設」。線路に近い場所に、発掘されたままの姿で保存展示されている。ここから真っすぐに南に伸びる武蔵路跡を歩き、想像していたよりも大きな道路を実感しつつ市立歴史公園「史跡東山道武蔵路跡」を訪れた。ここには、かつてここから見えた東山道武蔵路と武蔵国分寺の景色を描いた絵が掲示されており、鑑賞。その後、「武蔵国分寺伽藍地北辺の溝跡」を見学し史跡の駅に移動。ここでボランティアガイドの方から武蔵国分寺資料館、国分寺、武蔵国分寺七重塔跡・金堂跡・講堂跡の説明をしていただいた。金堂跡では基壇と須弥壇が、講堂跡では基壇がそれぞれ復元されており、着実に史跡の整備が進んでいる。説明の最後に武蔵国分寺資料館に集まり、集合写真を撮った。
武蔵国分寺跡から西に歩き武蔵野線の高架下付近にて、このあたりにはかつて東山道武蔵路が通っていたことを確認し武蔵国分尼寺跡に到着。金堂跡の復元整備が進んでおり、金堂基壇(版築)の断面を見学。北府中駅から府中本町へ移動。最近整備が進んでいる駅横の「武蔵国府跡 国司館地区・徳川家康府中御殿跡」を見学。終了後、駅周辺にて各自自由に昼食をとる。
午後はまず「武蔵国府跡 国衙地区」を訪れ、国府官庁街の中心であったことを確認。国府跡から出土した瓦や塼(せん、古代のレンガ)、灰釉陶器などを展示している「ふるさと府中歴史館」を見学。ここで空模様が怪しいため、残念ながら高安寺見学の省略。その後、大國魂神社を参拝し、府中本町から西府駅に移動。「武蔵府中熊野神社古墳」を訪れた。この古墳は7世紀中頃の築造で、下の2段が方形で上段が円形の上円下方墳で非常に珍しい形。最近、古墳全体が石で覆われた築城当時の姿に復元整備され、非常に美しい姿を見せている。展示館ボランティアガイドの方から古墳に関する説明を受けた。古墳見学後、展示館にて出土遺物などを見学。「七曜文(しちようもん)」が刻まれていた鞘尻金具(さやじりかなぐ)である。また、この展示館には復元された石室模型が併設、頭にヘルメットをつけて見学した。展示館敷地内で終了式を行い、解散。武蔵小金井駅には15時50分に帰着した。    (参加者数 44名)

2019年05月14日

常陸桜川と真壁を訪ねました

紀行文

4月9日(火)「常陸桜川と雨引観音、真壁の町並みを巡る」   担当(織壁、関口、曽根、塚田)
前日と翌日が天候不順なのに、この日は快晴、絶好の花見日和となった。朝7時20分に小金井を出発し、首都高速、常磐道を経て予定どおり桜川磯部稲村神社に到着。桜川市ヤマザクラ課の渡邉さんが出迎えてくれ、小金井との桜の交流について話された。「江戸時代に苗木が桜川から隅田川や小金井におくられています。小金井桜のふるさとです」おりしも神社の糸桜が満開、山桜もきれいに咲いていた。宮司さんも話され「紀貫之が和歌に桜川のことを詠み、平安時代から都に知られていました」など由緒を語られた。神社の拝殿と桜を背景に宮司さんと集合写真を撮った。
20分ほどで雨引観音・楽法寺。「一に安産、二に子育て・・」と詠まれる寺。参加者は何を願うか? とにかくお参りした。開祖は飛鳥時代との伝説もあるほど歴史のあるお寺。大きな観音堂、多宝塔、仁王門など多くの建物があり想像していたよりはるかに大きく、一同感心。幸運にも境内にいるといわれる孔雀を見ることができたのは10人ほどだった。真壁の町に入り、歴史的建造物の伊勢屋旅館で田舎料理の昼食。けんちん汁、桜でんぶ飯などを味わう。真壁の町は茨城・石岡から栃木・真岡へ通じる要衝、歴史ある町だ。戦国時代までは真壁氏、江戸時代は浅野氏などが治めた。江戸はじめの町割りが400年も変わっていない。木綿や絹の流通で栄えた。「幕末から明治になると商家などが立派な門を構えました」と真壁のボランティアさん。田舎の三越と呼ばれる「潮田家」や笠間藩御用達「星野家」など国の登録有形文化財を見学。15時に帰途に就き、18時前に小金井帰着。 (59名参加)

2019年04月09日

杉並の南部を巡りました

紀行文

3月12日(火)「杉並の南部を巡る」            担当(馬淵、森、柏倉、佐藤(夕))
急に暖かくなり好天に恵まれ、絶好の春の見学会日和となった。天候が良かったせいか多くの方の参加を得た。
武蔵小金井駅8時42分の上り始発に乗車し、吉祥寺経由で井の頭線永福町にて下車。最初に訪れたのは杉並区立郷土博物館。若い学芸員の方から常設展示と庭の移築古民家について、丁寧な説明をしていただいた。杉並区は、善福寺川や神田川など多くの河川が東流していることから、古代から中世、近世、近現代まで人々の営みが継続しており旧跡が多いが、説明を聞いてよく理解できた。この付近一帯は善福寺川両岸に広がる広大な和田堀公園となっており、博物館を出た後に公園内の各所を訪れた。松ノ木遺跡は、非常に多くの縄文時代から古墳時代の住居跡が埋まっているが、現在は松ノ木中学校などが建っており遺跡の雰囲気はないものの、復元住居が展示されている。残念ながらコンクリート製であった。その後、バードウォッチングが出来る和田堀池をゆっくりと一周し、大宮遺跡を訪れた。ここは高台にあり当時から神聖な祭祀域であり、時を経て大宮八幡宮の境内と重なっている。隣の大宮八幡宮は広大な境内を有し、社殿も非常に立派である。八幡宮を出た後は西永福駅まで歩き吉祥寺経由で荻窪駅へ移動、12時10分着。駅周辺で各自昼食をとっていただいた。
午後は13時20分に再開。先ず明治天皇荻窪御小休所を訪れた。明治天皇は何度かここを利用されたが、明治16年4月23日観桜のために小金井へ行幸された折もここで休息されており、小金井とは縁のあるところである。
次に訪れたのは大田黒公園。音楽評論家であった大田黒元雄氏の邸跡で、広い日本庭園が保存・維持されておりゆっくり散策できた。池には小千谷市から贈られた立派な錦鯉が泳いでいる。レンガ色の瀟洒な記念館の前で集合写真を撮った。公園敷地の隣では現在3階建ではあるがマンション建設中で、景観の面で少し残念である。歩いて5分ほどで角川庭園に到着。ここは角川書店の創始者である角川源義氏の旧宅を杉並区が寄贈を受けて改修し公開している。職員の方から庭園について詳細な説明をしていただいた。庭に実っていたキンカンを「皆さんどうぞ食べてください」と言われビックリ。おいしくいただいた。庭の片隅にある水琴窟は、雅な音色を出していた。
その次に訪れたのは荻外荘である。ここは、首相を3度務めた近衛文麿が昭和12年から住み始め、多くの重要な政治会談を行った場所で、政治に関する遺跡として国の史跡に指定されている。邸の周りは残念ながら金網の柵で囲われておりそばには近づけない。当時の客間や応接部分を含む邸宅の一部は、現在豊島区に移築されているが近い将来再移築し、元の姿に復元する計画が進んでいるようである。邸の南側には当時大きな池があったが、今は子供が遊ぶ芝生となっている。
(皆さんかなり歩いて疲れていたため、この後予定していた与謝野公園はパス)
最後に訪れたのは光明院。この寺の辺りは、昔は「荻」が生い茂っており荻寺と呼ばれ荻窪の名の由来になったといわれている。現在は残念ながら荻寺の面影はない。境内で終了式を行い、荻窪駅で解散。武蔵小金井駅には16時20分頃帰着。                  (参加者 61人)

2019年03月12日

房総の村と加曽利貝塚を訪れました

紀行文

(1)2月19日(火)千葉 房総のむらと加曾利貝塚を訪ねる  担当(塚田、桜井、島田、織壁)
小金井を8時15分に出発。早春の小雨が降る中、バスで3時間ほどかけて印旛郡「房総のむら」に到着。ここは千葉県有数の規模を誇る龍角寺古墳群が
ある。まず岩屋古墳。ボランティアガイドさん「地山を利用、三段作りで一辺108mの大きな方墳を作りました。周囲に二重の堀があります」
「石室が見えます。それで岩屋と名付けられました」。次に明治32年建築の旧学習院初等科正堂を見る。重要文化財。隣村に三里塚御料牧場があった
縁で譲り受け、小学校講堂として使っていたそうだ。101号古墳は小さな古墳だが、埴輪が再現・陳列されていて見ごたえがある。ここで発掘された
埴輪の実物が風土記の丘博物館に展示されている。博物館には古墳の石室や鉄剣、鏃、古代寺院・龍角寺の瓦などを展示。「霞ケ浦周辺は古代に栄えた
時代があったのです」と。また房総のむらには江戸時代の武家屋敷、大きな農家や佐原市などの古い商家を16棟再現した町並みがある。小学生たちが
遠足にきていた。商家の町並みで集合写真。農家レストランで二色カレーセットの昼食。うまい!と評判だった。
午後、1時間ほどで加曾利貝塚に着く。待ち受けた学芸員が「国の特別史跡です。物でいえば国宝です」と誇らしく話す。ボランティアガイドさんの
解説でまわる。「全国2400の貝塚の三分の一が東京湾沿岸です。この地域は数だけでなく規模が群を抜いています」。博物館には貝類、土器、土偶、
装飾品などを展示。土器は加曾利式の名にもなった。貝類だけでなく、人骨、獣骨なども出土。「犬の骨はそろって出土、大切に狩りにつれていった
ようです」。140mと190mの環状の南・北貝塚は東京ドーム2個ほどある。貝塚断面観覧施設がある。イボカサゴ、ハマグリ、アサリなどの貝類、
犬の骨も見える。貝殻のカルシュウムで土壌が中和され、動物の骨が良好な状態で保存されているのが特色。「ここは住宅地などになる危機があり、
保存運動が行われたことも知ってください」と話す。雨も上がって3時半出発、5時半過に小金井に帰着。
(参加者58名)

2019年02月19日

東海七福神とその周辺を巡りました

紀行文

1月8日(火)初詣 東海七福神とその周辺を巡る        担当(小林、織壁、間島、岡田)
快晴だが寒中の季節通りの気温で、特に朝8時10分の三浦屋前広場の集合時には手先がかじかんだ。8時33分の始発に乗り、京急線の新馬場駅に10時10分着。
7班に分かれ、それぞれにガイドさんが付き巡った。点呼後出発。徒歩15分ほどで、まず訪れたのは近代硝子工業発祥の碑である。明治6年(1873) この地に日本最初の近代硝子工業所が設立されたが、経営不振から解散した。碑のみが道端にひっそりと立っている。小道を入り数分で東海寺の大山墓地に着いた。東海寺は徳川家光が沢庵を招聘して創建。幕府による手厚い保護を受けていたが、明治維新後、寺領は新政府に接収され衰退。墓地は残り、沢庵墓(国史跡)、国学者賀茂真淵墓(国史跡)、鉄道の父と言われた井上勝、新しいところでは品川出身の島倉千代子の墓など 多くの有名人の墓がある。
七福神巡りの第一番は、新馬場駅横の丘の上の品川神社(大黒天) である。この神社も徳川家の保護を受けていたが、現在まで生き残って、当日は会社の団体の参詣で賑わっていた。拝殿の奥の方の正面に20cm位の大黒天が鎮座していた。参拝後、社の後ろを回った所に、板垣退助の墓があった。見学後山を下り数分で養願寺(ようがんじ、布袋尊) に着く。天台宗の小さな寺で本尊は虚空蔵菩薩。布袋尊は本堂の賽銭箱のすぐ前に安置されていた。次の一心寺(いっしんじ、寿老人) は養願寺から30mほどの所にあり、同じような小さな寺で本尊は不動明王。寿老人は同じように前面の見やすい場所に安置されていた。次の聖蹟公園は品川宿本陣跡という石碑のみ見て通過。5分ほどの荏原神社(恵比寿) は、和銅2年(709) の創建で、現在でも府中の大國魂神社の神職は例祭のくらやみ祭りに際し荏原神社に参詣し禊を行うほどの由緒ある神社である。残念ながら拝殿の扉は締切ってあり、恵比寿は何処に祀ってあるのか全くわからなかった。また歩いて20分程で品川寺(ほんせんじ、毘沙門天) に着いた。真言宗醍醐派の別格本山で、本尊は水月(みづき)観音だが秘仏のため前立として通常は聖観音が置かれている。が当日は聖観音の代わりに毘沙門天が置いてあった。12時半だったのでガイドさんはここで終了。付近で各自自由に昼食をとった。
午後は京急線で立会川まで乗車。駅そばの天祖諏訪神社(福禄寿) に詣でる。1mほどの福禄寿の木像は、拝殿の中ではなく横の事務所の一部を改造し置いてある。拝んだ後その頭を撫でるとご利益がありますと札が下がっていて、皆撫でていた。また京急線に1駅乗り大森海岸駅そばの最後の七福神、磐井神社(いわいじんじゃ、弁財天) に着く。この神社は平安時代に編纂された延喜式神明牒に記載されている古社。社殿の左の池の中に弁天島が作られており、小さな社の扉は開かれ、中に琵琶を持った弁財天が祀られていた。境内の一廓で終了行事を行い、14時30分現地解散した。(参加者59名)

2019年01月08日

大磯を巡りました

紀行文

12月11日(火)師走の神奈川県大磯町を歩く      担当(関口、島田、塚田、佐藤(環))
気温が今季最低水準だった朝。2台のバスに分乗して、中町のリサイクルセンターを午前8時に出発。10時15分過ぎにJR大磯駅のロータリーに到着した。67名の大所帯のため、A,Bの2班に分かれて見学を始める。A班は、まず島崎藤村の墓に向かう。承和4年(837) の創建と伝えられる地福寺の境内にあり、梅の古木に囲まれて静かに眠るその傍らには妻の静子さんの墓も。墓碑は文化勲章の受章者で建築家の谷口吉郎博士の設計になるもので、簡素なものだった。曇天の中、新島襄の終焉の地へ歩みを進める。石碑は愛弟子の徳富蘇峰の筆によるもので、熱心に見入る参加者もいた。そこから数分の鴫立庵へ。西行法師の歌で名高い「鴫立沢(しぎたつさわ)」に、寛文4年(1664)小田原の崇雪という人が草庵を結んだことが始まり。京都の落柿舎(らくししゃ)、滋賀の無名庵と共に日本三大俳諧道場と言われる。ここまでに1時間を要した。B 班と合流すべくJR大磯駅や澤田美喜記念館に向かう。ちなみに、B班は澤田美喜記念館を最初に見学して、地福寺、新島襄終焉の地、鴫立庵へと回っている。三菱財閥初代総帥・岩崎彌太郎の孫である澤田美喜は、戦後、混血児教育に情熱を傾けた。生前の遺思を引き継ぎ、この記念館は開設された。戦前・戦後の40年に亘って同氏が蒐集した江戸時代の隠れキリシタンの遺物や関連資料などの貴重な資料ばかりで、参加者は西田館長の説明に熱心に聞き入っていた。この後、バスに分乗、大磯港にある駐車場へ。寒さの中、参加者はバスの中で持参した昼食を済ませた。
午後は12時50分、明治記念大磯邸園の見学から始まった。明治維新150年記念として一般公開を始めた旧大隈重信邸や旧陸奥宗光邸の邸園などを参観した。公開は今年末までで、以後の公開は未定という。貴重な機会だった。次の県立大磯城山公園にある旧吉田茂邸は吉田茂首相の養父が建てた別荘が始まり。平成21年に焼失したが、平成28年に再建された。和風建築の粋を集めた造作には素晴らしいものがあった。また、次の旧三井邸城山荘をモチーフにした郷土資料館は健脚組のみが見学した。吉田邸の見学あたりから細かい雨が降り出す。朝からではなく、見学会終盤で助かった。雨の小金井に帰着したのは5時半過ぎだった。             (参加者67名)


2018年12月11日

多摩の酒造会社を訪ねました

紀行文

11月14日(水)多摩の酒造会社を訪ねる          担当(間島、馬淵、嵯峨山、柏倉)
この見学会は、日本酒を飲まない方、特に女性の参加者は少ないかなと少し心配していたが、お酒が飲めない方でも十分楽しめますとの企画と宣伝が功を奏したのか、結果的に多くの女性含め46名の参加を得た。当日は晩秋の見学会にふさわしい絶好の日和に恵まれ、快適な一日を過ごすことが出来た。朝8時15分に集合、8:44分発の青梅行きに乗車し、拝島駅で下車。ゆっくりと多摩川方面に歩き、約15分で石川酒造に到着。
石川酒造の正門を入って正面の杉玉が吊るしてある酒蔵の前でまず集合写真を撮った。その後、石川酒造の職員の方から敷地内の建造物や酒蔵内で丁寧な説明を受けた。酒蔵では、「三段仕込み」の理由や作業内容、「大吟醸」はお米の外側を削る精米の割合が50%以上、等々いろいろな詳しい説明を受けた。説明後は皆さんが楽しみにしていた試飲となった。新酒の他、日本酒で造った梅酒もいただけた。今回の昼食は、全員が一緒に食事できるようにとの間島幹事の企画を、石川酒造さんの特別の計らいで、国の登録有形文化財建造物(「向蔵ビール工房」の二階)を使用させていただいた。この二階は落着いた雰囲気のある非常に大きな広間となっており、予約していた仕出し弁当の素材も味も良く、大変好評であった。食前酒には、一階ビール工房の出来立て地ビールや「多満自慢」の新酒を飲むことが出来た。
石川酒造から徒歩で拝島駅に戻り、羽村駅まで青梅線で移動。羽村駅に到着する直前に塚田役員から、羽村駅北口にある「まいまいず井戸」見学の飛び入り提案がなされ、急遽見学。その後、駅南口に移動し多摩川を目指して歩いた。羽村取水堰は、多摩川の河口から54kmのところにある玉川上水の取り入れ口である。玉川上水は1653年に完成したといわれ、取り入れ口のほとりには開削に尽力した玉川兄弟の像が立っている。ここから玉川上水に沿って歩くと、ほどなく第三水門と羽村導水ポンプ所が見えてきた。ここで山口貯水池と村山貯水池への導水と玉川上水とに配分しているので、ここからの玉川上水は急に狭くなる。その後、非常に静かで緑豊かな上水沿いの小道を、途中休憩をとりながら25分ほど歩き、ようやく煉瓦煙突が見えてきた時には歓声が上がった。田村酒造に到着である。田村酒造の酒蔵には、かつての酒蔵のシンボルである「煉瓦煙突」が残っており、大変美しい姿を見せている。ここでは、酒蔵見学の他、敷地内見学で田村分水の取り入れ口も見学できた。田村分水は玉川上水からの数少ない個人分水であり、当時は敷地内にあった水車で、精米や発電に利用していたそうである。田村酒造見学の最後も、皆さんが楽しみにしていた試飲で締めくくった。併せて多くの方が「嘉泉」の新酒を購入していた。
最後に、田村酒造から徒歩5分の所にある「旧ヤマジュウ田村家住宅」を訪問。事前に小金井史談会の名前で団体予約をいれていたが、見学人数が約50人とのことから福生市教育委員会文化財係長以下4名の方から非常に親切丁寧な説明をいただいたので見学予定時間をだいぶ超え、武蔵小金井駅帰着は17時半となった。                      (参加者46名)
                   

2018年11月14日
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