最近の活動です

活動・見学会報告

吉見の百穴などを巡りました。

紀行文

4月2日(火) 埼玉・聖(せい)天宮(てんきゅう)、吉見百(ひゃく)穴(あな)、妻沼(めぬま)聖(しょう)天山(でんざん)見学            担当(織壁、島田、佐藤、藤森)
久しぶりの晴天に恵まれ、バスによる見学会が開催された。最初の見学地は埼玉県坂戸市にある国内最大級の道教のお寺、聖(せい)天宮(てんきゅう)。バスは圏央道坂戸インターを降り田園地帯を約1.5km走る。突然、車窓から黄色い屋根瓦と色鮮やかな龍の飾りが見えると参加者から歓声が上がった。聖(せい)天宮(てんきゅう)である。拝観開始時刻より早く到着したので、聖天宮入口前で依頼していたガイドさんを待つ。
聖天宮は台湾出身の康國典(大法師)が台湾から宮大工を呼び寄せ十五年の歳月をかけ平成七年(1995年)に建立した寺である。龍を主体とした彫刻、釘を使わずに楠材を組んで作った螺旋天井、楠の一枚板の扉の彫刻等、一見の価値あるものばかり。龍尽くしの装飾に彩られた聖天宮は辰年の今年にふさわしい見学会の場所であった。
次に向かったのは、今から百一年前の大正十二年(1923年)に国の史跡に指定された吉見百(ひゃく)穴(あな)。古墳時代末期(六世紀末から七世紀後半)の横穴墓である。太平洋戦争末期には、航空機エンジンの部品を製造する地下軍需工場が造られ、巨大なトンネルが数多く掘られたため、十数基の横穴墓が壊された歴史を持つ。ここでは、横穴墓、地下軍需工場のトンネル入口と横穴墓の一部に自生している国指定天然記念物のヒカリゴケをガイドの説明を聞きながら見学した。百穴と命名されているが、実際には二百十九基の横穴墓がある。
 最後に熊谷市妻沼にある妻沼(めぬま)聖(しょう)天山(でんざん)歓喜院(かんぎいん)を訪ねた。二班に分かれてガイドの案内で見学した。宝暦十年(1760年)に再建された本殿「歓喜院聖天堂」は、平成十五年(2003年)から八年かけて行った平成の大修理により、傷みや剥落した色彩が甦り、平成二十四年(2012年)七月九日に国宝に指定された。日光東照宮を彷彿させる本格的装飾建築である。この本殿「歓喜院聖天堂」は、庶民の浄財によってできていることもあり、羽目彫刻には七福神、象、麒麟、龍、鳳凰、猿などの動物、四季折々の遊びに興じている子供等、平和な世の中での姿がモチーフとなっている。また技術的にも漆を何度も塗り重ねて精巧な表現がされていることにも目を奪われた。約一時間の見学を終えて、東松山インターから一路武蔵小金井に戻った。
 今回は、第一級の芸術作品を鑑賞できた一方で、文化財や天然記念物を今以上に失ってはならないと再認識した見学会でもあった。                 (参加者58名)

2024年04月02日

小金井公園で懇親バーベキューと文化財センター

紀行文

3月19日小金井文化財センター見学と小金井公園で懇親会バーベキュー     担当(垂水、織壁、役員全員)
 桜の開花はいつだろう? と気にしながらの見学日となった。3月19日、小金井文化財センターで「小金井桜の今昔」と題して、生涯学習課の高木さんを講師に勉強会を行う。「今年は、小金井桜が国の名勝指定になって百年です」「小金井桜はヤマザクラ。開花の早いもの、遅いものがあります」「江戸中期、将軍吉宗の命で、川崎平右衛門が小金井の上水堤に奈良・吉野、茨城・桜川の苗を植えました」「桜は大正期には1400本もありました。戦後に玉川上水が止まると環境が悪化、700本まで減ったが、今は900本を超えるまで復活しました。」「整備は始まったばかり、桜並木とノカンゾウ、ニリンソウなど足元の草木が復活します」「府中農業高の生徒と市民団体が植樹、補植、苗木の育成をしています」などと小金井桜の昔と今を解説した。文化財センターは展示替えのため休館、3月22日からは季節展「名勝小金井桜」が行われる。
 文化財センター・浴恩館前で記念写真を撮り、玉川上水の平右衛門橋をわたり小金井公園に向かう。この付近の上水はケヤキなどの大木が伐採され、土手、堤に背の低い桜が植えられている。将来が楽しみだ。10分ほど歩いてバーベキュー会場へ。昨年9月に行ったバーベキューが好評、春の実施となった。参加者それぞれ、食材と飲物を用意。5つのテーブルに分れて、調理。幹事がコンロ、テーブル、イスなどを売店で用意した。各テーブルでは食事をしながら懇談した。「BBQ盛況で楽しく歓談できました。2回目となれば皆さん慣れたもので 次回も期待します。準備段階からこまごまと気配りお疲れ様でした!」などの感想が寄せられています。春まだ浅く、少し寒かったが、皆さん楽しい時間を過ごした。参加39名(懇親会33名)

2024年03月19日

登戸研究所跡を巡りました

紀行文

2月14日(木) 秘密戦・登戸研究所を探索する 担当(嵯峨山、小林、福崎、中島、金澤)
2月14日はバレンタインデー。早朝より晴れ渡り3月下旬並みの暖かいとの天気予報。
1月の見学会後の案内や役員会で、「資料館内が狭くガイド2名、学期末試験中」などのネガティブな情報を流したにも拘わらず予想外の49名が参加されました。昨年7月4日の山田朗先生講師の講演会の反応がよかったからでしょう。
武蔵小金井→立川→南武線・登戸⇒小田急線・生田の行程で明治大学生田キャンパスを目指しました。キャンパスは高台にあるので北西門の地域産学連携研究センターの建物内のエスカレーターを利用するつもりが建物内工事で立入禁止。止む無く急階段を登る羽目に。史跡の1つである生田神社(弥心(やごころ)神社)前で、学内遺跡探索スタート組と資料館(陸軍登戸研究所第二課が研究施設として実際に使っていた建物の一つ)見学からのスタート組に分かれ、DVD⇒資料館内ガイド案内⇔学内史跡巡りという2時間のプログラムでした。
登戸研究所の研究内容やそこで開発された兵器・資材(風船爆弾・ウイルス兵器・生物兵器・毒物・スパイ機材・偽札・偽造パスポートなど)などは人道上・国際法規上に大きな問題を有するものが多数ありました。戦争の暗部ともいえる部分を直視し、戦争の本質や日本軍が行ってきた諸活動の一端を学びそして平和を考えるきっかけになれば幸いです。参加者49名(うち2名新入会員)

2024年02月14日

下谷七福神を巡りました

紀行文

1月10日(水) 下谷七福神めぐり            担当(坂倉、塚田、小林、岡田)
 下谷七福神めぐりは、根岸~下谷~竜泉~三ノ輪にあり、およそ1時間30分で回れるコースです。
1月10日、お天気に恵まれ、8時47分、武蔵小金井駅を出発し、鶯谷駅の北口に出ると、私たちと同じような団体が何組か集合しており、狭い広場が大混雑でした。前もって依頼していた台東区のボランティアガイドさん5名と合流して、参加者は5つのグループに分かれて「いざ出発!」
 寿老神の「元三島神社」は駅前にあり、蒙古襲来の折、勇将河野通有が夢のお告げで勧請したことが始まりです、寿老神は中国道教の神であり、延命長寿・福徳を授ける神とされています。
次は「恐れ入谷の鬼子母神」。朝顔市で有名です。言問通りを歩いていくと真正面にスカイツリーが見えます。鬼子母神は、安産、子育ての守護神として信仰されるようになりました。ここに祀られているのは福禄寿。中国の仙人に由来するといわれ、安産、子宝、金運、長寿の神です。
 次は三面大黒天が祀られている英信寺です。浄土宗の寺院。三面大黒天は右に弁財天、左に毘沙門天の顔を持つ大黒様。ヒンズー教の神で出世・開運・商売繁盛などの御利益があります。
 隣接して毘沙門天が祀られている法昌寺。法華宗、本門流の寺院です。元プロボクサー・コメディアンのたこ八郎の「たこ地蔵」が皆様の無病息災を祈願して合掌しております。毘沙門天はインドの神様で仏教の四天王の1人です。古代インドでは武人の神様、日本では財福の神様。
 昭和通りを越え少し行くと、不忍池の姉妹弁財天である朝日弁財天があります。弁財天はインド由来の神様で、芸事、金運の神様。
 次に国際通りを越えて、飛不動尊正宝院。「空飛ぶお不動さま」として旅人の守り本尊、災厄消徐の祈願寺として信仰され、「はやぶさ」の無事帰還のご利益でも有名です。ここは、日本由来の恵比寿神が祀られ、釣竿を持ち、鯛を抱える漁業の神様。商売繁盛の神様です。
 少し歩くと一葉記念館です。地上3階・地下1階の構造。大人数の為、広場で記念館の職員さんが、2回に分けての説明。館長さんにも他の団体より優先していただくというご配慮を頂きました。そして、全員で記念撮影。
 最後の寿永寺は徳川秀忠公の供養のために秀忠の正室お江の方の侍女寿永法尼によって建てられました。布袋尊は夫婦円満の神。大きく笑っているお姿は温かい気持ちにしてくれました。三ノ輪駅まで3分。福を頂き、午後1時前、無事終了。
(参加者64名)

2024年01月09日

三渓園をなどを巡りました

紀行文

12月12日(火) 三渓園と金沢文庫・称名寺の史跡を訪ねる 
担当(太田、小林、白倉、垂水)
ヨーカドー前に7時10分集合なのに、20分も前に薄暗い雨の中、参加者が続々と集まり始めた。「トイレは済ませてください。バスの席取りはやめましょう」と大きな声で受付を開始。参加費の受領、釣りや資料のお渡しなど。テキパキと処理し、キャンセルもあったが、定刻の7時半には余裕で出発した。
少し渋滞がありながらも多摩川に沿って走り、予定通り1回の休憩をとり、定刻の10分前には三溪園に到着。天気に強いと自負する人達のお陰?で傘なし。現地のボランティアガイドによる解説・見学が始まった。
三溪園はこの千年間の日本建物園で、小金井たてもの園と姉妹園を思わせる? 野球場を4つも集めたほどの敷地にお宝の重要文化財の建物が17もある。かなり山や川があって、ステッキに頼りながら元気に登っていく。紅葉の時期は過ぎていたが、落ちた真っ赤なカエデの葉が雨に濡れて重なっている。
次の金沢文庫の見学時間も決まっており、集合は時間厳守、みなさんきっちりと集まる。旅慣れた集団だと改めて思う。金沢文庫は文字通り古文書ばかりで猫に小判? 係の解説にはみなさんの興味はそれぞれ。見学時間を持て余した人も。称名寺の池の周りを思いおもいに歩いた。
帰りは、行きより半時間も短縮、5時には帰着。心配していた傘もささずに晩秋のいい旅だった。
(参加者50名)


2023年12月12日

内藤新宿を巡りました

紀行文

11月14日(火) 晩秋の内藤新宿を菊薫る新宿御苑まで歩く
担当 (塚田、森、嵯峨山、坂倉、佐藤)
 例年より寒いとの予報であったが、晴れの気持ち良い天気であった。出発は8時59分の始発。さすがに9時近くであり楽に座れたのだが、三鷹駅到着時、「西八王子・八王子間で支障が起き、急ぎの方は総武線・地下鉄線に乗り換えて」とのアナウンス。あわてて乗り換え、荻窪駅で地下鉄丸ノ内線に乗り換えた。
最初の見学地は花園神社。さすがに酉の市の本拠地、驚くほどの提灯の数。幕のかかった露店の隙間から僅かに見える熊手、3日前の酉の日に来たらさぞかし賑やかだったろうと思われた。この神社は牛込区の総鎮守である。南に出て、伊勢丹前に出る。ここは昔追分といわれ、甲州街道と青梅街道の分かれ道だった。この道を東へ5~6分行くと成覚寺・正授院。
成覚寺は内藤新宿の「飯盛り女」(遊女)の投げ込み寺として有名で小さいながら、いかにもという雰囲気がある。遊女と客で心中した男女18人を供養する旭地蔵や子供合祀碑という飯盛り女(宿主は遊女を子供と呼んだ)が病気などで亡くなった者達への供養碑もある。また、寛政の改革を皮肉って自死に追い込まれた黄表紙本の先駆者、恋川春町(本名倉橋格、静岡小島藩年寄本役120石)の墓もある。成覚寺の東隣が正受院。こちらは咳止めに効くと大評判で、お礼の真綿を頭に乗せた脱衣婆や、第二次世界大戦中に供出された当院の釣鐘が、米国に渡り残されており、17年ぶりに返却され、平和の鐘と呼ばれている。隣の寺と違い明るい寺であった。
正受院を出て南へ5分ほど歩くと内藤新宿の名の元となる内藤家(3万3千石)の菩提寺太宗寺である。江戸初期、新宿御苑も含めてこの地に膨大な下屋敷を持っていた内藤家は、太宗寺に8千坪近くの土地を寄進、また甲州街道の一宿目が高井戸で遠いとのことで、新しい宿を1698年に造ることになりこれにも協力した。ところがこの新宿が宿としてではなく遊里として発展、享保の改革で風紀粛正の為一度廃宿となりながら復興し、吉原や品川をしのぐ花街となってしまった。今の新宿も似たような所があり、太宗寺の内藤家の墓石も50数基あったものが今は3基しかなく、本堂が白く洋風で教会に見え、本坊(住職の住むところ)がホテルの様なのも、新宿の生命力なのかなと感心してしまった。
更に南に歩き新宿御苑北側を四谷大木戸へ向かった。この道には横に玉川上水が再現されており小金井橋の流れがここまで来ていたのかと感心。大木戸跡と水道碑を見て一時解散となった。御苑見学、新宿歴史博物館、帰宅と3組に分かれて帰途についた。                 (参加数61名)

2023年11月14日

国立劇場歌舞伎鑑賞会

紀行文

10月13日(金)国立劇場歌舞伎鑑賞会
 秋晴れの清々しい天候に恵まれた国立劇場に43名(残念ながら当日1名欠席)が参集。
劇場は昭和41年以来57年間を経て建て替えとなる。最後の歌舞伎公演となる10月は「初代国立劇場さよなら特別公演」として、義太夫狂言の名作「妹背山婦女庭訓」が9月に引き続き、2か月連続で通し上演された。この演目の歌舞伎での通し上演は平成8年以来だ。
もとは明和8 (1771)年、大阪竹本座で人形浄瑠璃として初演。同年歌舞伎にも移されて上演を重ね、人気演目となった。
舞台では尾上菊五郎が体調不良で休演となったが、藤原鎌足の蘇我入鹿討伐の史実に様々な伝説を取り混ぜて、架空と実在の人物を、時蔵・芝翫・菊之助・歌六などの役者が熱演、大満足だ。幕間で御膳をいただき、イヤホンガイドの解説に至福のひと時を過ごした。
(参加者 43名)

2023年10月23日

群馬・桐生を訪問しました

紀行文

10月17日(火) 織都(しょくと)の栄華をしのぶ・群馬桐生を訪ねる  担当 (織壁、桜井、閑野、馬淵)
桐生が絹織物の生産地ということは聞いたけど来たのは初めて、と多くの参加者の感想。
小金井を7時半すぎバスで出発、関越・北関東自動車道をとおり10時半すぎ桐生着。群馬大理工学部で、織都桐生案内人の会のガイドさん7名が迎えてくれる。早速、同窓記念会館の前で集合写真。「大正5年、桐生高等染織学校の講堂として建てられ、玄関アーチの意匠などにイギリス・チェダー様式の影響が見られます」とガイドさん。国の登録文化財だ。桐生天満宮は桐生54ヶ村の総鎮守。「ご存じ湯島天神などとともに関東五大天神の一つです。家康公からこの土地を賜り、ここから南に桐生新町の街並みが整えられました」「社殿の見事な彫刻にご注目ください。地元の名工関口文治郎によるものです」 文治郎は榛名神社、三峰神社、聖天宮(国宝)も手がけた名工。当初の極彩色は失われているが精巧な彫刻に一同感激。絹織物の工場が立ち並んでいた地域は国の重要伝統的建造物群になっている。ノコギリ屋根が特徴の工場。京風の店構えの商店。火災を防ぐ漆喰の外壁。銅板の屋根に白磁のタイルの豪華な金融業の事務所。近江商人が開いたという矢野園は酒、みそ、しょうゆの醸造をおこなっていた。これらの往時を思い起こさせる風景・建物をガイドさんの解説で見てまわった。矢野園には桐生ならではのお土産があり、店内は史談会で満員。見学時間の二時間はあっという間に終了した。昼食は、地元の名物だというヒレカツご飯とひもかわうどん。 ちょっと量が多かったけど美味しかった。2時すぎに桐生を出発、関越道をとおり5時前に小金井着
 参加者の感想。「桐生の街並みを見てかつて栄えていたことがわかった。天満宮の彫刻素晴らしい。ボランティアガイドさんの解説とてもよかった。明治、大正、昭和の近代化を支えた絹産業を改めて勉強した。どこもそうだけど人通りなくさびしい。 車窓から見た赤城、榛名、妙義の山がきれい」  (参加者 54名)  

2023年10月17日

小金井公園でバーベキュー

説明文

9月12日(火)たてもの園見学と小金井公園で懇親バーベキュー  担当(垂水、太田義守、島田、白倉、渡辺)
史談会の江戸東京たてもの園の見学は14年ぶりだ。今回は、見学後に公園でバーベキューを組み合わせた企画。午前10時たてもの園前に集合。園でボランティアガイドをしている史談会の会員が用意した招待券を一部使って入場した。3グループに分れてボランティアをしている会員が説明をした。
参加者に聞いてみると意外にも「たてもの園には何回も来たけど、きちんと説明を聞いたことはない」という人がほとんどだった。限られた時間でみどころ3棟を中心に解説。前川國男邸は日本の近代建築をリードした前川の自邸で昭和17年に建てられたモダニズム建築の傑作だ。三井邸は昭和27年に建てられた明治期の流行を反映した和洋折衷の住宅。高橋是清邸は栂(つが)を材料とした総栂普請。2階は昭和11年の2・26事件の暗殺現場だ。ウィークデーで一般の見学者は少ないが、目立ったのは外国人観光客。「ウェアーカムフロム?」と聞くと「イスラエル」という。建築を勉強しているとのことだった。
下町エリアの子宝湯前で集合写真を撮り、バーベキュー会場へ移動。
史談会でバーベキュー会をするのは初めて。参加者がどのくらいか心配したが、申し込みは40人ほどの大所帯になった。木陰に会場をセット。グリルも3台。幹事があらかじめ火を起こして待機。参加者は、肉、ウィンナー、魚干物、キャベツ、とうもろこしなどを持ち込んだ。幹事がバーベキューに腕をふるう。緑の木陰で、ビールやジュース、ワイン、酒、ブランデーなどを手に、食べながら、話がはずんだ。
「楽しい会だった。大成功!」という声が聞こえた。暑い一日だったけれど、会員どうしの交流・懇親も楽しくできた今回の見学会だった 。(参加者52名)

2023年09月15日

宝登山、長瀞、嵐山博物館を廻りました

紀行文

9月22日(火)埼玉・宝登山、長瀞、嵐山博物館を訪ねる   担当(垂水、織壁、佐藤、坂倉)
恒例の集合場所、三浦屋前の広場ではタワマンが作り出す日陰のおかげで涼しい風が頬を撫でる。7時半、これまた冷房のよく効いた大型バスは総勢47人を乗せ、長瀞町に向けスタート。
9時50分、「宝登山神社」に到着。幹事の坂倉さんの強い「コネ」により登場した禰宜さんから丁寧に神社の縁起を聴いた。権現造りの本殿(社殿)の左右にある欄間に施された、8話の親孝行話が描かれた彫刻の見事さにうなずく。
バスに戻り、「宝登山ロープウェイ」乗り場に。標高453.0㍍の山頂駅へ5分で到着した。山頂はとにかく涼しい。ほとんどの参加者は徒歩で「宝登山神社奥宮」へ進む。山麓駅より少し薄暗く、霊験あらたかな気がする。神社の「奥宮」は山頂駅から徒歩6分の距離で、参加者の健脚ぶりを発揮してお参りした。ロープウェイで下り、バスで昼食会場に着く。さっそく、「長瀞の岩畳」で集合記念撮影。帰りはお土産を買う参加者もいた。
今回の参加費(会員)は6800円。これは全国旅行支援の1000円を引いた金額。さらに2000円のクーポン券もついた。合計3000円の大判振る舞いに参加者から歓声が聞こえたような気がした。
釜めし、ざるうどん、天ぷらなどの盛りだくさんの料理が並んだ昼食。その後にお土産を買い込んで、名勝の「長瀞の岩畳」を散策した参加者も。宝登山神社や長瀞では渋沢栄一の足跡(功績)を目の当たりにした。郷土の埼玉県が生んだ名士である。
長瀞を後にしたのは13時50分ごろ。「嵐山史跡の博物館」のある嵐山町を目指す。長瀞町から嵐山町まで所要時間は約1時間。同じ埼玉県内だが、距離はある。この博物館は鎌倉時代の武蔵武士・畠山重忠が居住していたといわれる国指定史跡・菅谷館跡のなかにある。
 冷房のよく効いた博物館本館を出て重忠像を目指して城郭跡を歩く。高さ10㎝位の草を踏みながらあるくと、久しぶりの「草いきれ」が。小金井の市街地ではそうは味わえない。ふと、松尾芭蕉の句「夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡」を思い出した。ここは奥州藤原氏とは何の関係もないが、城跡であることは間違いない。小金井に17時半帰着。(終)

2023年08月22日
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