最近の活動です

活動・見学会報告

鎌倉幕府ゆかりの地を訪ねました

紀行文

見学会報告
10月8日(火) 「鎌倉幕府ゆかりの地を巡る」    担当(馬淵、島田、閑野、中島)
 当日は、雨予想から幸い秋の好天に恵まれた見学日となった。会費徴収の際に、4種の中から昼食の注文を取った。武蔵小金井駅8時04分始発の上りに乗車。途中、安全確認が行われたため徐行運転が続き、新宿駅到着が遅れ予定していた湘南新宿ラインに乗車できず、鎌倉駅には計画より10分以上遅れて到着。駅改札口を出たところで点呼を行い、最初に若宮大路の段葛を歩き鶴岡八幡宮へ向かった。大石段の元で、平成22年に倒木した大銀杏から生えた若木を見上げる位置で集合写真を撮った。その後大石段を登り本宮に参拝。参拝を終えた後、鎌倉国宝館脇の道に出ると「一昨日この道で流鏑馬(やぶさめ」が行われたばかり」とのことで、後片付けをしていた。
鎌倉幕府の最初の将軍居館であった大蔵幕府跡(碑)を確認し、源頼朝の墓(法華堂跡)を訪ねた。頼朝の墓は幕府跡に驚くほど近い。石段を登り質素な石塔を見学。石段を下り、その奥の石段を登り北条義時法華堂跡を訪れた。健脚組は、さらに奥の階段を登り大江広元他の墓も訪ねた。鎌倉駅到着が遅れた関係で、残念ながら荏柄天神社の参詣はパスし、昼食を団体予約していた蕎麦屋「宮前」に丁度間に合った。先付けとして出てきたこんにゃく玉や大豆の煮物が非常においしく、また蕎麦や天丼も味が良く、最後にデザートとして水ようかんも出て来て、皆さん(特に女性陣には)大変満足していただいたようだった。
昼食後は永福寺跡を見学した。ここは源頼朝が奥州平泉を攻めた際に亡くなった将兵の鎮魂のために無量光院を模して建てた寺院跡で、中心の堂である二階堂が現在の地名由来となっている。最近発掘整備が進み、基壇と庭園、池が復元されている。その次に、そばにある護良親王の墓を訪れた。この墓は200段近い急階段を登る必要があり、入口のみを見学。その後に護良親王を祀る鎌倉宮を訪れた。事前に団体案内を予約していたが、神職の方から土牢や宝物館にて非常に丁寧な説明をしていただいた。鎌倉宮には鎌倉駅行の始発バス亭があり、一部の方がここでリタイアしたいとのことで、無料休憩所にて終了式を実施。
休憩後、北条氏の邸跡であった宝戒寺境内入り口を通り、東勝寺橋を経由して東勝寺跡を訪れた。ここは北条得宗家の氏寺跡で鎌倉幕府・北条一族終焉の地であり、その奥にある「北条高時腹切りやぐら」を見学。ここは一族郎党が最期を遂げた場所といわれ、今なお妖気が漂っている感じがした。ここから若宮大路幕府跡(碑)を通り鎌倉駅に戻り、午後5時すぎに小金井に帰着。                     (参加者40名)

2019年10月08日

狛江を巡りました

紀行文

見学会報告
9月10日(火) 「狛江を巡る」          担当(柏倉、坂本、門川、馬淵)
 当日は、前日の台風一過にて南の暑い空気が流れ込み生憎の猛暑となったが、多くの元気な方の参加を得た。8時36分発の下りに乗車し、西国分寺、
府中本町、登戸にてそれぞれ乗換え、小田急線狛江駅で下車。狛江駅構内で点呼を行った。
最初に「むいから民家園」を訪れた。ここには狛江市内の古民家、旧荒井家住宅主屋と旧高木家長屋門が移築されている。民家園の職員の方に説明をしていただいた。「「むいから」とは麦藁のことで、狛江では茅葺屋根に一部麦藁を使用していたので「むいから屋根」と呼ばれていました」、「旧高木家長屋門内には機織り機が展示されていますが、この機織り機はテレビ番組「やすらぎの刻~道」にてロケに使用されました」など。次に兜塚古墳を訪れた。ここは都指定史跡で、墳丘の残存直径約43m、高さ4mの円墳で、多くの古墳が残る狛江地域の中でも保存状態が良好な古墳である。幸い墳丘頂へ登ることが出来、多くの参加者が登頂し古墳の大きさを実感した。
その後は、この古墳からほど近いところにある伊豆美神社を訪れた。寛平元年(889年)に建てられた古社であり、もともとは多摩川沿いにあったが天文19年(1550年)の洪水で流失し、現在地に移転している。宮司には事前に説明をしていただく予約をしていたが、境内の説明に加え、拝殿内に上がらせていただき鏡や格天井に描かれた歌など、神社の由緒含め詳しい説明をしていただいた。最後に参詣の土産もいただいた。
次に、多摩川近くに移動し玉川碑(万葉歌碑)を訪れた。江戸時代に建てられたが、文政2年(1829年)の洪水で流失。大正13年に拓本を元に現在地に建てられたものである。そして多摩川沿いにある水神社を訪れた。この神社は、天文21年(1550年)の洪水により流失した元の伊豆美神社があったとされる場所にある。その後狛江駅に戻り、駅周辺で各自自由に昼食をとった。
午後は、狛江駅のすぐそばにある泉龍寺を訪問。東大寺開山の良弁(ろうべん)僧正草創と伝わり、現在は曹洞宗の寺院となっている。昭和19年までは「まわり地蔵」と呼ばれた各地域を回る巡行仏が有名であった。事前に拝観と案内の予約をしており、前住職から説明をいただいた。非常にきれいな本堂内、清楚な境内と墓所、そして平成23年に開館した泉龍寺仏教文庫(仏教関係の書籍の他、泉龍寺伝来の文化財を収蔵している)も見学、それぞれ丁寧に説明していただいた。前住職は仏教における学識が非常に深く、またお話も大変上手であった。(後で知ったことであるが、前住職(菅原昭栄氏)は東大史料編纂所の教授を務めた歴史学者であり、現在も私立大学の教授を務めている)
 猛暑のため泉龍寺で解散。当初予定していた泉龍寺別院、弁財天池は希望者のみの見学とし、午後4時ころ小金井に帰着。                (参加者46名)

2019年09月10日

足尾銅山を訪ねました

紀行文

(1) 8月20日(水)「わたらせ渓谷鉄道と足尾銅山を訪ねる」担当(塚田、織壁、馬淵、嵯峨山)
作家立松和平は、足尾線(現わたらせ渓谷鉄道)を子どものころ訪ねている。「大間々をすぎたあたりから、山の中に入る。渡良瀬川に沿った美しい風景を幼い私は車窓にもたれながら眺めていたものだ。したたるような緑の中をすんだ水が流れる…『旅の暮らし』」と書いている。
6:15集合。小金井の高齢者パワーは朝に強い、6:20バスで出発。圏央道、関越道を通って順調に9時桐生駅に到着した。窓ガラスのないオープンな車両と普通車両の2両・トロッコわっしー号に分乗して出発。通洞駅まで1時間半の列車の旅。緑の美しい風景が広がる車内で昼食をとった。
通洞駅で集合写真をとり、二班に分かれて見学に向かった。古河足尾歴史館では館長さんが「足尾は鉱毒であまりにも有名になったのですが、今は緑の山々です。鉱山の歴史についても知っていただきたい」「山がはげ山になったのは、精錬から出るガスのせいもありますが明治20年の大山火事も原因です」などと語った。江戸時代の初めが全盛期で、足尾銭と言われた寛永通宝も作っていたという。明治になり衰退していた銅山を復活させたのが古河市兵衛、明治の富国強兵を支えた。
次に、足尾銅山観光に向かう。およそ5分のトロッコ列車に乗り坑道に進む。奥には約1,200㎞に達する坑道があり、東京・博多間とおなじだという。トロッコを降りひんやりした坑道を見学した。江戸時代の手掘りから、近代化された機械による掘削までリアルな人形が作られていた。坑道の外には江戸時代の鋳銭座跡の展示館があり、寛永通宝の鋳造の様子が展示されていた。
次は「鉱都足尾の迎賓館・古河掛水倶楽部」に行く予定であったが、都合で見学できず、車窓から旧精錬所跡、銅親水公園や足尾の山並みを見学して、帰途についた。渡良瀬川の川沿い、北関東道・関越道などをとおるも、時折激しい夕立にみまわれ、更に圏央道の事故不通にて渋滞に遭遇。予定より少し時間を要し、午後6時半ごろ無事小金井に帰着した。(参加者54名)

2019年08月21日

青梅を巡りました

紀行文

7月9日(火) 青梅を巡る               担当(森、島田、佐藤(夕)、宮崎)
梅雨の真最中で、朝は長袖だけでは寒いくらいの気温であったが、幸い雨は降らず終日曇。案内にアップダウンがあり長距離を歩くと書いたので、参加者は健脚自慢の35名。8時45分発の青梅行きに乗車。青梅駅のホームから改札に向かう通路には、「最後の映画看板師」久保板観さんが描く昔懐かしい手書きの映画看板が並んでいる。まずは旧青梅村の総鎮守住吉神社へ。女坂を登って境内に着くと、眼下に青梅の市街地が広がる。この神社はこの下にある延命寺を開山した季竜が、故郷摂津の国住吉大社の神を勧請したもので今年創建650年になる。
青梅は昭和をテーマに町おこしをしており、この後「昭和を楽しむ三館」を見学。昭和レトロ商品博物館では、昭和30~40年頃の駄菓子や薬などのパーケージが展示されており、子供の頃を懐かしく思い出した。二階は小泉八雲の怪談「雪女」発祥の地がここ青梅で、資料が展示されていた。赤塚不二夫会館では、昭和を代表するギャグ漫画家赤塚不二夫作品の原画や当時新発売された少年マガジンや少年サンデーも展示されており、毎週発売を楽しみにしていた往時の記憶が蘇ってきた。昭和幻燈館では、美空ひばりなど往年の銀幕スターのブロマイドや、有田ひろみ・ちゃぼの青梅猫町商店街ジオラマ、猫ばかりの作品を鑑賞、癒しの時間を過ごした。
三館見学後、延命寺や津雲邸のある路地を歩き、多摩川の畔の釜の淵公園にある青梅市郷土博物館へ向かった。学芸員から青梅の歴史や産業等の説明を聞き、特別展「青梅のいきもの」を見学した。また博物館に隣接して移築され国の重要文化財に指定されている19世紀初頭の農家「旧宮崎家住宅」を見学。この古民家前で記念撮影。久しぶりに弁当持参で、梅雨で水嵩を増した多摩川の流れを見ながら、そして鶯やホトトギスの鳴き声を聴きながらベンチで弁当を広げた。
昼食後、多摩川がこの地で巾着形に大きく曲がって流れていることを確認して青梅駅に向かった。青梅駅から河辺駅までJRで移動し塩船観音まで歩く予定であったが、その後青梅駅からバスで塩船観音まで行けるルートが見つかり、全員午後1時42分のバスに乗車。塩船観音はつつじが有名だが、この時期は本堂の東側斜面一杯に紫陽花が見事に咲いていた。約20名が一番高所に立つ観音像に行き、眼下に塩船の名前の由来となった舟形の地形を確認、遠景も楽しんだ。ほぼ全員が午後3時8分の小作駅行バスに乗車して帰路に就いた。午後4時30分小金井帰着。   (参加者35名)

2019年07月09日

北口本宮浅間神社と忍野八海を巡りました

紀行文

6月11日(火)北口本宮冨士浅間神社と忍野八海を巡る    担当(小林、間島、桜井、池田)
6月7日の入梅から四日目で、天気予報は雨だったが、幹事の念力が通じたのか、明け方まで降っていた雨は集合時間には上がり、日中は日差しも出て快適な見学会となった。朝8時10分に60人乗りの大型観光バスで小金井を出発。キューピー富士吉田工場には予定時刻10時30分より40分も早い、9時50分に到着。2班に分かれ、1班(29人)は1時間のキューピー工場見学、もう1班(28人)はバスで10分程の北口本宮冨士浅間神社を約1時間見学した。これはキューピー工場の受け入れ人数に制限があった為である。昼食は全員で浅間神社横の茶屋で名物のほうとう鍋を食べ、午後は見学先を入れ替えて見学した。
キューピー富士吉田工場は、さすがに食品工場というに相応しい清潔な工場である。見学通路と工場はガラスで完全に仕切られており、おかゆの製造では、一袋づつ米の投入、水と調味料を混ぜ加熱して粥にし、冷やして後パッキング、段ボール箱への積込みが無人で行なわれる。見学後は、試食室でおかゆ、トロピカルミックス(酢のジュース)などを試食し、最後にドレッシングとおかゆのお土産付きで、皆大いに満足した。
北口本宮冨士浅間神社は、浅間神社の格としては低いが、吉田口登山道の起点であり、平成25年(2013)富士山が世界遺産に登録された時、神社・登山道がその構成資産になったため、大いに羽振りを利かしている。境内の説明はガイドさんにお願いした。面白かったのは本殿の経緯で、始め武田信玄が造営した本殿を豊臣秀吉が横に退けて前よりも大きい本殿を作り、徳川家康がまた退けて更に大きな本殿を造った。そのため本殿の四方にある樹齢千年と言われるご神木が邪魔をしているので屋根を切欠いている。本殿、拝殿などほとんどの建造物が国指定の重要文化財である。鬱蒼とした杉木立の中の神社は荘厳な雰囲気に満ちていた。両班合流して忍野八海へ。
 忍野八海とは、富士山の雪解け水が地下の溶岩の間で約20年の歳月を経てろ過され、湧水となって8か所の泉をつくる。古くは信者たちが富士登山前にここで水行を行ったとされるが、その後荒廃していた。天保14年(1843)、長百姓大寄友右衛門が忍野八海、富士講を再興し、各池に守護神の八大龍王を祀り、石碑に和歌を刻み巡礼路を整備した。平成25年世界文化遺産に登録。近年個人が人工の池を作り、多くの観光客がこの人工の池を忍野八海と誤認しているようだ。3班に分かれ、本来の忍野八海をガイドさんの説明で巡った。観光客も少なく池の底から湧水が静かに噴出るのが見えた。
15時30分忍野八海発、17時20分小金井着。                (参加者57名)

2019年06月11日

松江・出雲・石見銀山の歴史史跡を巡りました

紀行文1

5月20日(月)~22日(水)「島根 松江城、出雲、石見銀山を訪ねる」その①
担当(塚田、織壁、間島、嵯峨山、佐藤(夕)、馬淵)
史談会初めての飛行機を使っての見学会、出雲と石見を訪ねた。20日朝7時35分発の日航便で出雲縁結び空港に向かい、9時に到着、地元の一畑観光バスが出迎え。空に雲がやや多く、少し波が荒い宍道湖を右に見ながら松江中心部に向かう。途中、斐伊川をわたる。「この川はヤマタノオロチの神話の川です」と運転手さん。出雲は神話の国だ。ホテルに荷物を預け松江城に見学に行く。
松江城天守が2015年に国宝に指定されたことから、ボランティアさんの解説にも力が入る。「この城を作った大名は誰でしょう? 堀尾吉晴です。秀吉恩顧の部下で築城に優れていました」城の中に入ると、国宝指定の決定打となった祈祷札は「慶長拾六年…」とあった。1611年に築城されたことが証明された。「この階段は桐材です。火に強く、丈夫です」急な階段を登り天守最上階へ。四方の見晴らしがよい。南には宍道湖が見え、北には武家屋敷が連なる。
松江と言えば小泉八雲、『怪談』などの著作で知られる。旧居には八雲が使った机などがあり、純和風の家だ。「ここで怪談・民話を書きました」「一神教の西欧ではない日本が好きでした」。松江城の「掘川めぐり」ツアーは「橋は背を屈めないと通れません、注意!」と船頭さん。堀から見上げても見えるのは石垣ばかりだが、城の天守も少し見える。小一時間の船旅を終え、ホテルにもどり温泉につかる。この日、松江城山稲荷神社の渡御際ホーランエンヤの期間。10年に一度、約100隻の舟が大橋川と意宇川を舞台に繰り広げる大船行列。渡御の舟を見ることはできなかったが、堀川めぐり事務所で記念の手ぬぐいをタダでいただいた。いい記念だ。夕食は居酒屋で松江名物を味わう。
二日目はホテルを8時に出発、50分ほどで足立美術館に着いた。9時開館前なのにたくさんの観光バス、すでに団体客は入場開始、人気だ。足立美術館の名は聞いているが、創立者の足立全康氏は知らない。貧農に生まれ、丁稚奉公などをへて実業家として成功したとある(ひとことでは言えない)。貧しい時、横山大観の絵にふれ、絵画にめざめた。収集日本画を展示する美術館をつくるにあたって、何よりも庭園に力を入れ、背景の山々も借景にした日本庭園を造った。米国の日本庭園専門誌「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」による庭園ランキングで、16年連続日本一に選ばれている。この日空は真っ青雲一つない、奇跡の晴天。日本庭園の美しいこと。横山大観をはじめとする日本画家の展示に圧倒され、一同感激。

5月20日(月)~22日(水)「島根 松江城、出雲、石見銀山を訪ねる」その②
5月21日昼頃、足立美術館を出た後は、宍道湖の水面を見ながら、大田市の石見銀山に向かう。今日は波もおだやか。宍道湖畔で昼食の後、1時間40分で石見銀山駐車場に到着。ここから先は環境保全のため電動自転車を使う。世界遺産・石見銀山ガイドの会のみなさんがお迎え。「この銀山は小金井とも関係が深いのです。川崎平右衛門は江戸中期ここにきて銀山の再興に力を発揮しました。その後3代にわたり代官をつとめました」そこから間歩(坑道)に向かう。山は緑に囲まれウグイスの声が聞こえる。「あれが千の山、山を中心に銀鉱脈があります。戦国時代「灰吹き法」が朝鮮から伝えられ生産が一挙に増えました。大名間の争奪がはげしくなりました」と銀山の歴史と銀製法を説明。電動自転車に慣れ、坂道を上って龍源寺間歩に到着。坑道にはライトがついているが暗い。暗い坑道を味わいながら約40分、鉱脈跡、横穴、立坑、水抜き坑などの解説を受けた。他のグループは熊谷家など石見銀山のお膝元で発展した大森の町並みを訪ねた。
二日目の宿は温泉津(ゆのつ)温泉だ。戦国、江戸時代は銀の積出港として、また温泉地として栄えてきた。温泉津の町は江戸の頃から配置がかわらず、重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。「外湯は薬師湯と元湯があります。ぬるいほうは43度、少し熱いのは46~7度でしょうか」と仲居さんの話。えぇっ!これは大変だ。入りに行ったのは数名らしい。
三日目は、さらに青空、雲一つない。出雲大社に向かう。今回は事前に申込、正式参拝となった。特に認められて、神主さんの先導で瑞垣の中、本殿前まで行き拝礼。そして大社についての説明を受ける。「こんな晴れは珍しい。出雲は八雲たつと言われるように雲と湿気が多いのです」と神主さんは開口一番。「大社は正式にはオオヤシロと言います。今年は60年に一回の遷宮。出雲大社は、建物の建て替えではなく、檜皮のふき替えなど補修が中心ですが、檜の皮を集めるだけでも大変。総額百億円以上かかります」「祭神は大国主命です。大黒天とは違います」「朝と晩、新鮮な食事、贄と言いますが毎日お供えします」などと歴史や式年遷宮についての話を聞く。
島根県立古代出雲歴史博物館は、出雲大社を中心とした古代出雲についての展示をしている。主な展示物は、荒神谷遺跡より出土した銅剣358本・銅矛16本、銅鐸6個(以上国宝)、加茂岩倉遺跡より出土した国宝の銅鐸39個、平安時代の出雲大社本殿を再現した10分の1の模型などであり、石見銀山など旧石見国も含めた島根県全体の歴史についての展示もある。中央ロビーには、2000年に出雲大社境内から出土した宇豆柱(うづばしら)。
帰りの羽田便は、残念ながら2グループに分かれた。16時15分発のグループは博物館見学後空港から羽田に向かい、19時25分発のグループは島根半島の西端に位置する日御碕(ひのみさき)神社、古代出雲歴史博物館を見学し羽田に向かった。    

紀行文2

5月20日(月)~22日(水)「島根 松江城、出雲、石見銀山を訪ねる」その②
5月21日昼頃、足立美術館を出た後は、宍道湖の水面を見ながら、大田市の石見銀山に向かう。今日は波もおだやか。宍道湖畔で昼食の後、1時間40分で石見銀山駐車場に到着。ここから先は環境保全のため電動自転車を使う。世界遺産・石見銀山ガイドの会のみなさんがお迎え。「この銀山は小金井とも関係が深いのです。川崎平右衛門は江戸中期ここにきて銀山の再興に力を発揮しました。その後3代にわたり代官をつとめました」そこから間歩(坑道)に向かう。山は緑に囲まれウグイスの声が聞こえる。「あれが千の山、山を中心に銀鉱脈があります。戦国時代「灰吹き法」が朝鮮から伝えられ生産が一挙に増えました。大名間の争奪がはげしくなりました」と銀山の歴史と銀製法を説明。電動自転車に慣れ、坂道を上って龍源寺間歩に到着。坑道にはライトがついているが暗い。暗い坑道を味わいながら約40分、鉱脈跡、横穴、立坑、水抜き坑などの解説を受けた。他のグループは熊谷家など石見銀山のお膝元で発展した大森の町並みを訪ねた。
二日目の宿は温泉津(ゆのつ)温泉だ。戦国、江戸時代は銀の積出港として、また温泉地として栄えてきた。温泉津の町は江戸の頃から配置がかわらず、重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。「外湯は薬師湯と元湯があります。ぬるいほうは43度、少し熱いのは46~7度でしょうか」と仲居さんの話。えぇっ!これは大変だ。入りに行ったのは数名らしい。
三日目は、さらに青空、雲一つない。出雲大社に向かう。今回は事前に申込、正式参拝となった。特に認められて、神主さんの先導で瑞垣の中、本殿前まで行き拝礼。そして大社についての説明を受ける。「こんな晴れは珍しい。出雲は八雲たつと言われるように雲と湿気が多いのです」と神主さんは開口一番。「大社は正式にはオオヤシロと言います。今年は60年に一回の遷宮。出雲大社は、建物の建て替えではなく、檜皮のふき替えなど補修が中心ですが、檜の皮を集めるだけでも大変。総額百億円以上かかります」「祭神は大国主命です。大黒天とは違います」「朝と晩、新鮮な食事、贄と言いますが毎日お供えします」などと歴史や式年遷宮についての話を聞く。
島根県立古代出雲歴史博物館は、出雲大社を中心とした古代出雲についての展示をしている。主な展示物は、荒神谷遺跡より出土した銅剣358本・銅矛16本、銅鐸6個(以上国宝)、加茂岩倉遺跡より出土した国宝の銅鐸39個、平安時代の出雲大社本殿を再現した10分の1の模型などであり、石見銀山など旧石見国も含めた島根県全体の歴史についての展示もある。中央ロビーには、2000年に出雲大社境内から出土した宇豆柱(うづばしら)。
帰りの羽田便は、残念ながら2グループに分かれた。16時15分発のグループは博物館見学後空港から羽田に向かい、19時25分発のグループは島根半島の西端に位置する日御碕(ひのみさき)神社、古代出雲歴史博物館を見学し羽田に向かった。         (参加者 23人)

2019年05月20日

武蔵野の古代中心地と中世近世要地を巡りました

紀行文

5月14日(火)「武蔵国の古代中心地と中世近世の要地を巡る」 担当(馬淵、嵯峨山、中島、岡田)
令和に替わり最初の見学会となった。小雨模様のせいか参加者数が少なかった。武蔵小金井駅8時38分発に乗り、西国分寺駅にて下車。
最初に訪れたのは「東山道武蔵路遺構再生展示施設」。線路に近い場所に、発掘されたままの姿で保存展示されている。ここから真っすぐに南に伸びる武蔵路跡を歩き、想像していたよりも大きな道路を実感しつつ市立歴史公園「史跡東山道武蔵路跡」を訪れた。ここには、かつてここから見えた東山道武蔵路と武蔵国分寺の景色を描いた絵が掲示されており、鑑賞。その後、「武蔵国分寺伽藍地北辺の溝跡」を見学し史跡の駅に移動。ここでボランティアガイドの方から武蔵国分寺資料館、国分寺、武蔵国分寺七重塔跡・金堂跡・講堂跡の説明をしていただいた。金堂跡では基壇と須弥壇が、講堂跡では基壇がそれぞれ復元されており、着実に史跡の整備が進んでいる。説明の最後に武蔵国分寺資料館に集まり、集合写真を撮った。
武蔵国分寺跡から西に歩き武蔵野線の高架下付近にて、このあたりにはかつて東山道武蔵路が通っていたことを確認し武蔵国分尼寺跡に到着。金堂跡の復元整備が進んでおり、金堂基壇(版築)の断面を見学。北府中駅から府中本町へ移動。最近整備が進んでいる駅横の「武蔵国府跡 国司館地区・徳川家康府中御殿跡」を見学。終了後、駅周辺にて各自自由に昼食をとる。
午後はまず「武蔵国府跡 国衙地区」を訪れ、国府官庁街の中心であったことを確認。国府跡から出土した瓦や塼(せん、古代のレンガ)、灰釉陶器などを展示している「ふるさと府中歴史館」を見学。ここで空模様が怪しいため、残念ながら高安寺見学の省略。その後、大國魂神社を参拝し、府中本町から西府駅に移動。「武蔵府中熊野神社古墳」を訪れた。この古墳は7世紀中頃の築造で、下の2段が方形で上段が円形の上円下方墳で非常に珍しい形。最近、古墳全体が石で覆われた築城当時の姿に復元整備され、非常に美しい姿を見せている。展示館ボランティアガイドの方から古墳に関する説明を受けた。古墳見学後、展示館にて出土遺物などを見学。「七曜文(しちようもん)」が刻まれていた鞘尻金具(さやじりかなぐ)である。また、この展示館には復元された石室模型が併設、頭にヘルメットをつけて見学した。展示館敷地内で終了式を行い、解散。武蔵小金井駅には15時50分に帰着した。    (参加者数 44名)

2019年05月14日

常陸桜川と真壁を訪ねました

紀行文

4月9日(火)「常陸桜川と雨引観音、真壁の町並みを巡る」   担当(織壁、関口、曽根、塚田)
前日と翌日が天候不順なのに、この日は快晴、絶好の花見日和となった。朝7時20分に小金井を出発し、首都高速、常磐道を経て予定どおり桜川磯部稲村神社に到着。桜川市ヤマザクラ課の渡邉さんが出迎えてくれ、小金井との桜の交流について話された。「江戸時代に苗木が桜川から隅田川や小金井におくられています。小金井桜のふるさとです」おりしも神社の糸桜が満開、山桜もきれいに咲いていた。宮司さんも話され「紀貫之が和歌に桜川のことを詠み、平安時代から都に知られていました」など由緒を語られた。神社の拝殿と桜を背景に宮司さんと集合写真を撮った。
20分ほどで雨引観音・楽法寺。「一に安産、二に子育て・・」と詠まれる寺。参加者は何を願うか? とにかくお参りした。開祖は飛鳥時代との伝説もあるほど歴史のあるお寺。大きな観音堂、多宝塔、仁王門など多くの建物があり想像していたよりはるかに大きく、一同感心。幸運にも境内にいるといわれる孔雀を見ることができたのは10人ほどだった。真壁の町に入り、歴史的建造物の伊勢屋旅館で田舎料理の昼食。けんちん汁、桜でんぶ飯などを味わう。真壁の町は茨城・石岡から栃木・真岡へ通じる要衝、歴史ある町だ。戦国時代までは真壁氏、江戸時代は浅野氏などが治めた。江戸はじめの町割りが400年も変わっていない。木綿や絹の流通で栄えた。「幕末から明治になると商家などが立派な門を構えました」と真壁のボランティアさん。田舎の三越と呼ばれる「潮田家」や笠間藩御用達「星野家」など国の登録有形文化財を見学。15時に帰途に就き、18時前に小金井帰着。 (59名参加)

2019年04月09日

杉並の南部を巡りました

紀行文

3月12日(火)「杉並の南部を巡る」            担当(馬淵、森、柏倉、佐藤(夕))
急に暖かくなり好天に恵まれ、絶好の春の見学会日和となった。天候が良かったせいか多くの方の参加を得た。
武蔵小金井駅8時42分の上り始発に乗車し、吉祥寺経由で井の頭線永福町にて下車。最初に訪れたのは杉並区立郷土博物館。若い学芸員の方から常設展示と庭の移築古民家について、丁寧な説明をしていただいた。杉並区は、善福寺川や神田川など多くの河川が東流していることから、古代から中世、近世、近現代まで人々の営みが継続しており旧跡が多いが、説明を聞いてよく理解できた。この付近一帯は善福寺川両岸に広がる広大な和田堀公園となっており、博物館を出た後に公園内の各所を訪れた。松ノ木遺跡は、非常に多くの縄文時代から古墳時代の住居跡が埋まっているが、現在は松ノ木中学校などが建っており遺跡の雰囲気はないものの、復元住居が展示されている。残念ながらコンクリート製であった。その後、バードウォッチングが出来る和田堀池をゆっくりと一周し、大宮遺跡を訪れた。ここは高台にあり当時から神聖な祭祀域であり、時を経て大宮八幡宮の境内と重なっている。隣の大宮八幡宮は広大な境内を有し、社殿も非常に立派である。八幡宮を出た後は西永福駅まで歩き吉祥寺経由で荻窪駅へ移動、12時10分着。駅周辺で各自昼食をとっていただいた。
午後は13時20分に再開。先ず明治天皇荻窪御小休所を訪れた。明治天皇は何度かここを利用されたが、明治16年4月23日観桜のために小金井へ行幸された折もここで休息されており、小金井とは縁のあるところである。
次に訪れたのは大田黒公園。音楽評論家であった大田黒元雄氏の邸跡で、広い日本庭園が保存・維持されておりゆっくり散策できた。池には小千谷市から贈られた立派な錦鯉が泳いでいる。レンガ色の瀟洒な記念館の前で集合写真を撮った。公園敷地の隣では現在3階建ではあるがマンション建設中で、景観の面で少し残念である。歩いて5分ほどで角川庭園に到着。ここは角川書店の創始者である角川源義氏の旧宅を杉並区が寄贈を受けて改修し公開している。職員の方から庭園について詳細な説明をしていただいた。庭に実っていたキンカンを「皆さんどうぞ食べてください」と言われビックリ。おいしくいただいた。庭の片隅にある水琴窟は、雅な音色を出していた。
その次に訪れたのは荻外荘である。ここは、首相を3度務めた近衛文麿が昭和12年から住み始め、多くの重要な政治会談を行った場所で、政治に関する遺跡として国の史跡に指定されている。邸の周りは残念ながら金網の柵で囲われておりそばには近づけない。当時の客間や応接部分を含む邸宅の一部は、現在豊島区に移築されているが近い将来再移築し、元の姿に復元する計画が進んでいるようである。邸の南側には当時大きな池があったが、今は子供が遊ぶ芝生となっている。
(皆さんかなり歩いて疲れていたため、この後予定していた与謝野公園はパス)
最後に訪れたのは光明院。この寺の辺りは、昔は「荻」が生い茂っており荻寺と呼ばれ荻窪の名の由来になったといわれている。現在は残念ながら荻寺の面影はない。境内で終了式を行い、荻窪駅で解散。武蔵小金井駅には16時20分頃帰着。                  (参加者 61人)

2019年03月12日

房総の村と加曽利貝塚を訪れました

紀行文

(1)2月19日(火)千葉 房総のむらと加曾利貝塚を訪ねる  担当(塚田、桜井、島田、織壁)
小金井を8時15分に出発。早春の小雨が降る中、バスで3時間ほどかけて印旛郡「房総のむら」に到着。ここは千葉県有数の規模を誇る龍角寺古墳群が
ある。まず岩屋古墳。ボランティアガイドさん「地山を利用、三段作りで一辺108mの大きな方墳を作りました。周囲に二重の堀があります」
「石室が見えます。それで岩屋と名付けられました」。次に明治32年建築の旧学習院初等科正堂を見る。重要文化財。隣村に三里塚御料牧場があった
縁で譲り受け、小学校講堂として使っていたそうだ。101号古墳は小さな古墳だが、埴輪が再現・陳列されていて見ごたえがある。ここで発掘された
埴輪の実物が風土記の丘博物館に展示されている。博物館には古墳の石室や鉄剣、鏃、古代寺院・龍角寺の瓦などを展示。「霞ケ浦周辺は古代に栄えた
時代があったのです」と。また房総のむらには江戸時代の武家屋敷、大きな農家や佐原市などの古い商家を16棟再現した町並みがある。小学生たちが
遠足にきていた。商家の町並みで集合写真。農家レストランで二色カレーセットの昼食。うまい!と評判だった。
午後、1時間ほどで加曾利貝塚に着く。待ち受けた学芸員が「国の特別史跡です。物でいえば国宝です」と誇らしく話す。ボランティアガイドさんの
解説でまわる。「全国2400の貝塚の三分の一が東京湾沿岸です。この地域は数だけでなく規模が群を抜いています」。博物館には貝類、土器、土偶、
装飾品などを展示。土器は加曾利式の名にもなった。貝類だけでなく、人骨、獣骨なども出土。「犬の骨はそろって出土、大切に狩りにつれていった
ようです」。140mと190mの環状の南・北貝塚は東京ドーム2個ほどある。貝塚断面観覧施設がある。イボカサゴ、ハマグリ、アサリなどの貝類、
犬の骨も見える。貝殻のカルシュウムで土壌が中和され、動物の骨が良好な状態で保存されているのが特色。「ここは住宅地などになる危機があり、
保存運動が行われたことも知ってください」と話す。雨も上がって3時半出発、5時半過に小金井に帰着。
(参加者58名)

2019年02月19日
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