最近の活動です

活動・見学会報告

令和2年歴史見学写真展を開催しました

説明文

歴史見学写真展を7月10日(金)~13日(月)に開催しました。
史談会では毎年7月初旬に過去1年間の史蹟・名勝・市内探訪見学会の様子を
写真展として、宮地楽器ホール・ロビーで市の後援を得て開催してきました。
しかし残念ながら新型コロナウイルスの影響で今年は3月から7月迄の見学会
は中止となり展示は昨年7月から今年の2月迄の8回分の展で示となりました

当会は来年2021年創立50周年を迎えます。そこで、昭和や平成初期の見学会
の写真をアーカイブとして追加展示を行い好評をいただきました。
来年は展示会も含め記念行事を考えております。

2020年07月22日

大宮氷川神社と鉄道博物館を訪ねました

紀行文

2月12日(水)「日本一の参道氷川神社と鉄道博物館を訪ねる」
担当(閑野、小林、宮崎、本田)
 天気予報では日中の気温15℃程度が予定され、朝との気温差が心配される中、武蔵小金井駅8時30分発の下り電車で出発。西国分寺で乗り換え、いったん府中本町へ戻り始発に乗車し、南浦和、大宮とJRを乗り継ぎ、ニューシャトルで一駅目の鉄道博物館駅で下車。鉄道博物館入り口で記念写真撮影を行った。10時に鉄道博物館ボランティアガイドの方と合流。4班に分かれて博物館展示物の説明を受けた。御料列車とお召し列車の違い、東北新幹線の台車雪対策、SLの仕組みなど説明を聞かなければ見逃す内容の連続で大いに感動。その他、最近まで中央線で走っていた前世代のクモハ101形電車(101系電車)が展示されていたが、行先表示はなんと「武蔵小金井」となっており少し感激するなど、充実の2時間を過ごす。12時になり昼食は、博物館4階の食堂や各地の駅弁を購入し現役時代そのままの特急車内でとった。13時に鉄道博物館を後に、徒歩で氷川神社へ向かった。氷川神社は武蔵一宮で、参道は日本一の2kmの長さを誇る。かつては大宮公園も境内地に含まれ、「大いなる宮」から「大宮」の地名がついた。また、明治天皇は東京遷都の際に、桓武天皇の平安遷都の際の賀茂神社行幸に習いここ氷川神社に行幸され、武蔵国一宮とされた。拝殿でお参りした後、有名な見沼溜井の名残の神池と御神泉を見学し、解散式を行った。その後、長い参道を歩き大宮駅に戻り帰途についた。
(参加者54名)

2020年02月12日

新春の浅草・隅田川を廻りました

紀行文

1月7日(火)新春 浅草と隅田川を訪ねる    担当(織壁、岡田、佐藤(夕)、小林、垂水)
前日が寒の入りで、当日は曇り空の寒い日和であった。朝8時15分に三浦屋前広場に集合。8
時42分の上り始発に乗り、神田駅下車、東京メトロで浅草に。地上に浮かび上がって、浅草文化観光センターでトイレ休憩と点呼を行ったところ、参加者は75名にもなっており、多少時間を要し、10時10分見学へ出発した。当日の見学予定は先ず浅草七福神として、浅草神社、待乳山聖天(まつちやましょうでん)、今戸神社の3寺社、隅田川を渡って隅田川七福神の長命寺(ちょうめいじ)、弘福寺(こうふくじ)、三囲神社(みめぐりじんじゃ)の3寺社、郷社の牛嶋神社の7寺社である。
先ず5分ほどで浅草寺境内にある三社祭で有名な浅草神社へ。資料によれば恵比須神ということになっているが、正月の御開帳でも秘仏とかで見せない。一応お参りしてすぐ出ようとしたら、境内の一角で猿回しが始まり、その面白い仕草を見ていたら30分も時間をとってしまった。15分で待乳山聖天。毘沙門天は本堂内の扉の開いた厨子の中に納められていた。年に一度の大根まつりの日で大勢の人で賑わっていた。つぎに15分ほどで今戸神社へ。福禄寿は本堂正面の良く見えるところに祀られていた。境内に今戸焼発祥の地の石碑と、新撰組沖田総司終焉の地の石碑が並んで建てられていた。
隅田川を渡り、今戸神社の対岸に当たる場所に、隅田川七福神の長命寺(弁財天)、弘福寺(布袋)が建っている。長命寺は裏門から入るのが近いのだが、その横に『山本や』が二百数十年の味を伝える名物の桜餅を売っており、多くの参加者が飛びつき相当時間を費やした。長命寺の弁財天、弘福寺の布袋はいずれも本堂の正面の見やすい場所に祀られており、また隅田川七福神は参拝客も少なかったので時間は取らなかったが、それでも弘福寺で既に12時を過ぎていた。数分で三囲神社に着く。この神社は、三井越後家(三越などの創業家)の守護神として崇敬を集め、三井家先祖をまつる霊社や三井邸から移設した三角石鳥居やライオン像が境内に安置してある。恵比須神、大国神の二神は、境内の本殿左手の末社月読命(つくよみのみこと) 祠に祀られていた。
ここで12時40分だったので、解散式を行い以後は自由とした。しかし牛嶋神社までは、ほぼ全員が行動を共にした。この神社は郷社ではあるが、江戸時代には将軍家の崇敬が厚く、明治10年刊行の「東京名所図会」にも名所として記載されている。参拝後言問橋を渡り、午後1時過ぎ浅草寺へ帰ってきたが、小雨が降り出していた。ここで実質解散になり各自昼食をとり帰宅した。
(参加者75名)

2020年01月07日

渋谷を廻りました

紀行文

12月10日(火)「渋谷を歩く」              担当(柏倉、本田、中島、森)
 夜来の雨が上がり青空が見え始めた8時33分、小金井駅始発の電車で移動開始。吉祥寺から合流の参加会員とともに井の頭線で渋谷へ到着。
 まずは、「忠犬ハチ公」に挨拶し、再開発の駅周辺を眺めた後、スクランブル交差点を渡り、いよいよ渋谷を代表する「道玄坂」を歩き始めた。与謝野鉄幹、晶子ゆかりの「東京新詩社跡」を見た後、さらに道玄坂を上り坂上にある「与謝野晶子歌碑」を見て、関西から嫁いできた晶子の苦労に思いをはせ、また「道玄坂供養碑」を見て、道玄坂の由来と供養碑の意味を知った。
 東急開発の街、というイメージの渋谷であるが、関東大震災の後、西武の前身の「箱根土地開発」が被害を受けた都心の有名店を誘致した「百軒店(ひゃっけんだな)」(今はその面影も無くなってしまった)を歩き、時期を同じくして宮益坂から遷座した「千代田稲荷神社」(もともとは太田道灌が伏見稲荷を江戸城に勧請した)にお参りをした。
 次に「渋谷区立松濤美術館」を訪問。学芸員から建築家「白井晟一(せいいち)」の設計による美術館についての詳しいレクチャーを受け、その後自由に建物と開催中の「サラ・ベルナールの世界展」を鑑賞した。美術館正面にて集合写真撮影後、近隣の「松濤公園」を散策。時代に伴って変わってきたこの地の歴史を感じたところで、この見学会のハイライトともいえる「陸軍衛戍刑務所跡」に向かって松濤の坂を歩いた。途中「国木田独歩旧宅跡」を見て、NHKスタジオパークの道を挟んだ「二・二六事件慰霊碑」(陸軍衛戍刑務所跡)に到着。何故この地なのか、由来と設置団体等について学んだ。その後、刑務所の南端に位置する「陸軍用地」と刻まれた境界石を見て、当時の刑務所の敷地の広さを想像した。その後、駅に戻る道の途中今は無くなってしまった「恋文横丁跡」を確認して終了。
今回の見学会は多数の方に参加して頂いたのだが、混雑する渋谷の街中で通行人等に迷惑を掛ける場面があったのは、反省点のひとつであった。
 尚、この見学会の場所とコースの原案は、本年11月にお亡くなりになった奥村氏によるもので、多数の方の参加を頂いた事を生前に報告出来なかったことは大変残念でした。ここにあらためて故人のご冥福をお祈りいたします。合掌。                  (参加者 57名)

2019年12月10日

講演会を開催しました

講演会説明

小金井史談会 講演会 11月16日
 2年ぶりに令和元年11月16日土曜日14時から16時、萌え木ホールで今年刊行された小金井市史を記念して講演会を開催しました。テーマは「江戸時代 小金井市域の文化の展開」 講師は小金井市史 Ⅳ近世第7章の執筆者の一人 中元幸二氏(現・国分寺市ふるさと文化財課職員) ①書の家 持明院家と大久保台六郎 ②国府算額名所の記述の変遷 ③俳諧師宝雪庵可尊という内容でレジュメではかなりの難解さが予想されたのですが、講師の巧みな口調で聴取者を飽きさせず会場は熱気に包まれました。小金井市及び小金井市教育委員会の後援をいただき、市報(11/1)・「市のお知らせ」を掲載しました。そして会員の皆さんの友人・知人などへの広報の結果、参加者69名になり成功裡に終わりました。

2019年12月06日

看板建築の町石岡と筑波山を訪ねました

紀行文

見学会報告
11月12日(火)「看板建築のまち石岡と紅葉の筑波山を訪ねる」
担当(織壁、塚田、馬淵、宮崎、松下、嵯峨山)
小金井を7時に出発、午前10時前に石岡に到着、晴天にめぐまれ筑波山がきれいだ。茨城県石岡は古代国府が置かれた常陸国の中心、常陸国分寺跡と看板建築をボランティアのガイドで見学した。石岡は昭和4年に市街地の四分の一を焼失する大火にみまわれた。その復興建築に使われたのが看板建築、現在国登録有形文化財6戸を含め約30戸が現存する。看板建築とはなんじゃ? 疑問を持ちながらボランティアの話を聞く。関東大震災後に東京の市街地で再建に看板建築が大流行。石岡はそれが伝播したものだ。東京では職人の名は伝えられていないが、石岡で多くを手がけた左官職人・土屋辰之助の名が残る。防火のために銅板やモルタルの壁面は凝った装飾風仕上げたので見栄えがする。コリントやイオニア様式の柱頭飾り、アールデコ風のレリーフ、ガラス戸の瀟洒な組子、ドイツ下見張の銅板など。参加者世代はなんともノスタルジックな景色に感動「なつかしい!」を連発した。昭和大火でかろうじて焼け残った江戸期の元染物屋「まち蔵藍」も見学した。
昼は、市内老舗料亭でお弁当を食べ、名産品、野菜などを土産にバスで筑波山に向かった。かつて筑波山は江戸や多摩地域からも良く見え、浮世絵にも描かれてランドマークであった。この日は快晴、真っ青な空を背景に筑波山の男体山、女体山の二峰がくっきり見える。ロープウェイで女体山に登る。6分で到着し、頂上へは徒歩10分ほど。年寄りがつまずいては大変なことになると、登った人は7割ほど。頂上からは関東平野全体が見渡せ、水面が光る霞ヶ浦が美しい。筑波山名物のガマの油を売る売店をウィンドウショッピングしながら帰途に着いた。小金井には6時過ぎに到着。(参加者55名)


2019年11月12日

鎌倉幕府ゆかりの地を訪ねました

紀行文

見学会報告
10月8日(火) 「鎌倉幕府ゆかりの地を巡る」    担当(馬淵、島田、閑野、中島)
 当日は、雨予想から幸い秋の好天に恵まれた見学日となった。会費徴収の際に、4種の中から昼食の注文を取った。武蔵小金井駅8時04分始発の上りに乗車。途中、安全確認が行われたため徐行運転が続き、新宿駅到着が遅れ予定していた湘南新宿ラインに乗車できず、鎌倉駅には計画より10分以上遅れて到着。駅改札口を出たところで点呼を行い、最初に若宮大路の段葛を歩き鶴岡八幡宮へ向かった。大石段の元で、平成22年に倒木した大銀杏から生えた若木を見上げる位置で集合写真を撮った。その後大石段を登り本宮に参拝。参拝を終えた後、鎌倉国宝館脇の道に出ると「一昨日この道で流鏑馬(やぶさめ」が行われたばかり」とのことで、後片付けをしていた。
鎌倉幕府の最初の将軍居館であった大蔵幕府跡(碑)を確認し、源頼朝の墓(法華堂跡)を訪ねた。頼朝の墓は幕府跡に驚くほど近い。石段を登り質素な石塔を見学。石段を下り、その奥の石段を登り北条義時法華堂跡を訪れた。健脚組は、さらに奥の階段を登り大江広元他の墓も訪ねた。鎌倉駅到着が遅れた関係で、残念ながら荏柄天神社の参詣はパスし、昼食を団体予約していた蕎麦屋「宮前」に丁度間に合った。先付けとして出てきたこんにゃく玉や大豆の煮物が非常においしく、また蕎麦や天丼も味が良く、最後にデザートとして水ようかんも出て来て、皆さん(特に女性陣には)大変満足していただいたようだった。
昼食後は永福寺跡を見学した。ここは源頼朝が奥州平泉を攻めた際に亡くなった将兵の鎮魂のために無量光院を模して建てた寺院跡で、中心の堂である二階堂が現在の地名由来となっている。最近発掘整備が進み、基壇と庭園、池が復元されている。その次に、そばにある護良親王の墓を訪れた。この墓は200段近い急階段を登る必要があり、入口のみを見学。その後に護良親王を祀る鎌倉宮を訪れた。事前に団体案内を予約していたが、神職の方から土牢や宝物館にて非常に丁寧な説明をしていただいた。鎌倉宮には鎌倉駅行の始発バス亭があり、一部の方がここでリタイアしたいとのことで、無料休憩所にて終了式を実施。
休憩後、北条氏の邸跡であった宝戒寺境内入り口を通り、東勝寺橋を経由して東勝寺跡を訪れた。ここは北条得宗家の氏寺跡で鎌倉幕府・北条一族終焉の地であり、その奥にある「北条高時腹切りやぐら」を見学。ここは一族郎党が最期を遂げた場所といわれ、今なお妖気が漂っている感じがした。ここから若宮大路幕府跡(碑)を通り鎌倉駅に戻り、午後5時すぎに小金井に帰着。                     (参加者40名)

2019年10月08日

狛江を巡りました

紀行文

見学会報告
9月10日(火) 「狛江を巡る」          担当(柏倉、坂本、門川、馬淵)
 当日は、前日の台風一過にて南の暑い空気が流れ込み生憎の猛暑となったが、多くの元気な方の参加を得た。8時36分発の下りに乗車し、西国分寺、
府中本町、登戸にてそれぞれ乗換え、小田急線狛江駅で下車。狛江駅構内で点呼を行った。
最初に「むいから民家園」を訪れた。ここには狛江市内の古民家、旧荒井家住宅主屋と旧高木家長屋門が移築されている。民家園の職員の方に説明をしていただいた。「「むいから」とは麦藁のことで、狛江では茅葺屋根に一部麦藁を使用していたので「むいから屋根」と呼ばれていました」、「旧高木家長屋門内には機織り機が展示されていますが、この機織り機はテレビ番組「やすらぎの刻~道」にてロケに使用されました」など。次に兜塚古墳を訪れた。ここは都指定史跡で、墳丘の残存直径約43m、高さ4mの円墳で、多くの古墳が残る狛江地域の中でも保存状態が良好な古墳である。幸い墳丘頂へ登ることが出来、多くの参加者が登頂し古墳の大きさを実感した。
その後は、この古墳からほど近いところにある伊豆美神社を訪れた。寛平元年(889年)に建てられた古社であり、もともとは多摩川沿いにあったが天文19年(1550年)の洪水で流失し、現在地に移転している。宮司には事前に説明をしていただく予約をしていたが、境内の説明に加え、拝殿内に上がらせていただき鏡や格天井に描かれた歌など、神社の由緒含め詳しい説明をしていただいた。最後に参詣の土産もいただいた。
次に、多摩川近くに移動し玉川碑(万葉歌碑)を訪れた。江戸時代に建てられたが、文政2年(1829年)の洪水で流失。大正13年に拓本を元に現在地に建てられたものである。そして多摩川沿いにある水神社を訪れた。この神社は、天文21年(1550年)の洪水により流失した元の伊豆美神社があったとされる場所にある。その後狛江駅に戻り、駅周辺で各自自由に昼食をとった。
午後は、狛江駅のすぐそばにある泉龍寺を訪問。東大寺開山の良弁(ろうべん)僧正草創と伝わり、現在は曹洞宗の寺院となっている。昭和19年までは「まわり地蔵」と呼ばれた各地域を回る巡行仏が有名であった。事前に拝観と案内の予約をしており、前住職から説明をいただいた。非常にきれいな本堂内、清楚な境内と墓所、そして平成23年に開館した泉龍寺仏教文庫(仏教関係の書籍の他、泉龍寺伝来の文化財を収蔵している)も見学、それぞれ丁寧に説明していただいた。前住職は仏教における学識が非常に深く、またお話も大変上手であった。(後で知ったことであるが、前住職(菅原昭栄氏)は東大史料編纂所の教授を務めた歴史学者であり、現在も私立大学の教授を務めている)
 猛暑のため泉龍寺で解散。当初予定していた泉龍寺別院、弁財天池は希望者のみの見学とし、午後4時ころ小金井に帰着。                (参加者46名)

2019年09月10日

足尾銅山を訪ねました

紀行文

(1) 8月20日(水)「わたらせ渓谷鉄道と足尾銅山を訪ねる」担当(塚田、織壁、馬淵、嵯峨山)
作家立松和平は、足尾線(現わたらせ渓谷鉄道)を子どものころ訪ねている。「大間々をすぎたあたりから、山の中に入る。渡良瀬川に沿った美しい風景を幼い私は車窓にもたれながら眺めていたものだ。したたるような緑の中をすんだ水が流れる…『旅の暮らし』」と書いている。
6:15集合。小金井の高齢者パワーは朝に強い、6:20バスで出発。圏央道、関越道を通って順調に9時桐生駅に到着した。窓ガラスのないオープンな車両と普通車両の2両・トロッコわっしー号に分乗して出発。通洞駅まで1時間半の列車の旅。緑の美しい風景が広がる車内で昼食をとった。
通洞駅で集合写真をとり、二班に分かれて見学に向かった。古河足尾歴史館では館長さんが「足尾は鉱毒であまりにも有名になったのですが、今は緑の山々です。鉱山の歴史についても知っていただきたい」「山がはげ山になったのは、精錬から出るガスのせいもありますが明治20年の大山火事も原因です」などと語った。江戸時代の初めが全盛期で、足尾銭と言われた寛永通宝も作っていたという。明治になり衰退していた銅山を復活させたのが古河市兵衛、明治の富国強兵を支えた。
次に、足尾銅山観光に向かう。およそ5分のトロッコ列車に乗り坑道に進む。奥には約1,200㎞に達する坑道があり、東京・博多間とおなじだという。トロッコを降りひんやりした坑道を見学した。江戸時代の手掘りから、近代化された機械による掘削までリアルな人形が作られていた。坑道の外には江戸時代の鋳銭座跡の展示館があり、寛永通宝の鋳造の様子が展示されていた。
次は「鉱都足尾の迎賓館・古河掛水倶楽部」に行く予定であったが、都合で見学できず、車窓から旧精錬所跡、銅親水公園や足尾の山並みを見学して、帰途についた。渡良瀬川の川沿い、北関東道・関越道などをとおるも、時折激しい夕立にみまわれ、更に圏央道の事故不通にて渋滞に遭遇。予定より少し時間を要し、午後6時半ごろ無事小金井に帰着した。(参加者54名)

2019年08月21日

青梅を巡りました

紀行文

7月9日(火) 青梅を巡る               担当(森、島田、佐藤(夕)、宮崎)
梅雨の真最中で、朝は長袖だけでは寒いくらいの気温であったが、幸い雨は降らず終日曇。案内にアップダウンがあり長距離を歩くと書いたので、参加者は健脚自慢の35名。8時45分発の青梅行きに乗車。青梅駅のホームから改札に向かう通路には、「最後の映画看板師」久保板観さんが描く昔懐かしい手書きの映画看板が並んでいる。まずは旧青梅村の総鎮守住吉神社へ。女坂を登って境内に着くと、眼下に青梅の市街地が広がる。この神社はこの下にある延命寺を開山した季竜が、故郷摂津の国住吉大社の神を勧請したもので今年創建650年になる。
青梅は昭和をテーマに町おこしをしており、この後「昭和を楽しむ三館」を見学。昭和レトロ商品博物館では、昭和30~40年頃の駄菓子や薬などのパーケージが展示されており、子供の頃を懐かしく思い出した。二階は小泉八雲の怪談「雪女」発祥の地がここ青梅で、資料が展示されていた。赤塚不二夫会館では、昭和を代表するギャグ漫画家赤塚不二夫作品の原画や当時新発売された少年マガジンや少年サンデーも展示されており、毎週発売を楽しみにしていた往時の記憶が蘇ってきた。昭和幻燈館では、美空ひばりなど往年の銀幕スターのブロマイドや、有田ひろみ・ちゃぼの青梅猫町商店街ジオラマ、猫ばかりの作品を鑑賞、癒しの時間を過ごした。
三館見学後、延命寺や津雲邸のある路地を歩き、多摩川の畔の釜の淵公園にある青梅市郷土博物館へ向かった。学芸員から青梅の歴史や産業等の説明を聞き、特別展「青梅のいきもの」を見学した。また博物館に隣接して移築され国の重要文化財に指定されている19世紀初頭の農家「旧宮崎家住宅」を見学。この古民家前で記念撮影。久しぶりに弁当持参で、梅雨で水嵩を増した多摩川の流れを見ながら、そして鶯やホトトギスの鳴き声を聴きながらベンチで弁当を広げた。
昼食後、多摩川がこの地で巾着形に大きく曲がって流れていることを確認して青梅駅に向かった。青梅駅から河辺駅までJRで移動し塩船観音まで歩く予定であったが、その後青梅駅からバスで塩船観音まで行けるルートが見つかり、全員午後1時42分のバスに乗車。塩船観音はつつじが有名だが、この時期は本堂の東側斜面一杯に紫陽花が見事に咲いていた。約20名が一番高所に立つ観音像に行き、眼下に塩船の名前の由来となった舟形の地形を確認、遠景も楽しんだ。ほぼ全員が午後3時8分の小作駅行バスに乗車して帰路に就いた。午後4時30分小金井帰着。   (参加者35名)

2019年07月09日
» 続きを読む