松江・出雲・石見銀山の歴史史跡を巡りました

紀行文1

5月20日(月)~22日(水)「島根 松江城、出雲、石見銀山を訪ねる」その①
担当(塚田、織壁、間島、嵯峨山、佐藤(夕)、馬淵)
史談会初めての飛行機を使っての見学会、出雲と石見を訪ねた。20日朝7時35分発の日航便で出雲縁結び空港に向かい、9時に到着、地元の一畑観光バスが出迎え。空に雲がやや多く、少し波が荒い宍道湖を右に見ながら松江中心部に向かう。途中、斐伊川をわたる。「この川はヤマタノオロチの神話の川です」と運転手さん。出雲は神話の国だ。ホテルに荷物を預け松江城に見学に行く。
松江城天守が2015年に国宝に指定されたことから、ボランティアさんの解説にも力が入る。「この城を作った大名は誰でしょう? 堀尾吉晴です。秀吉恩顧の部下で築城に優れていました」城の中に入ると、国宝指定の決定打となった祈祷札は「慶長拾六年…」とあった。1611年に築城されたことが証明された。「この階段は桐材です。火に強く、丈夫です」急な階段を登り天守最上階へ。四方の見晴らしがよい。南には宍道湖が見え、北には武家屋敷が連なる。
松江と言えば小泉八雲、『怪談』などの著作で知られる。旧居には八雲が使った机などがあり、純和風の家だ。「ここで怪談・民話を書きました」「一神教の西欧ではない日本が好きでした」。松江城の「掘川めぐり」ツアーは「橋は背を屈めないと通れません、注意!」と船頭さん。堀から見上げても見えるのは石垣ばかりだが、城の天守も少し見える。小一時間の船旅を終え、ホテルにもどり温泉につかる。この日、松江城山稲荷神社の渡御際ホーランエンヤの期間。10年に一度、約100隻の舟が大橋川と意宇川を舞台に繰り広げる大船行列。渡御の舟を見ることはできなかったが、堀川めぐり事務所で記念の手ぬぐいをタダでいただいた。いい記念だ。夕食は居酒屋で松江名物を味わう。
二日目はホテルを8時に出発、50分ほどで足立美術館に着いた。9時開館前なのにたくさんの観光バス、すでに団体客は入場開始、人気だ。足立美術館の名は聞いているが、創立者の足立全康氏は知らない。貧農に生まれ、丁稚奉公などをへて実業家として成功したとある(ひとことでは言えない)。貧しい時、横山大観の絵にふれ、絵画にめざめた。収集日本画を展示する美術館をつくるにあたって、何よりも庭園に力を入れ、背景の山々も借景にした日本庭園を造った。米国の日本庭園専門誌「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」による庭園ランキングで、16年連続日本一に選ばれている。この日空は真っ青雲一つない、奇跡の晴天。日本庭園の美しいこと。横山大観をはじめとする日本画家の展示に圧倒され、一同感激。

5月20日(月)~22日(水)「島根 松江城、出雲、石見銀山を訪ねる」その②
5月21日昼頃、足立美術館を出た後は、宍道湖の水面を見ながら、大田市の石見銀山に向かう。今日は波もおだやか。宍道湖畔で昼食の後、1時間40分で石見銀山駐車場に到着。ここから先は環境保全のため電動自転車を使う。世界遺産・石見銀山ガイドの会のみなさんがお迎え。「この銀山は小金井とも関係が深いのです。川崎平右衛門は江戸中期ここにきて銀山の再興に力を発揮しました。その後3代にわたり代官をつとめました」そこから間歩(坑道)に向かう。山は緑に囲まれウグイスの声が聞こえる。「あれが千の山、山を中心に銀鉱脈があります。戦国時代「灰吹き法」が朝鮮から伝えられ生産が一挙に増えました。大名間の争奪がはげしくなりました」と銀山の歴史と銀製法を説明。電動自転車に慣れ、坂道を上って龍源寺間歩に到着。坑道にはライトがついているが暗い。暗い坑道を味わいながら約40分、鉱脈跡、横穴、立坑、水抜き坑などの解説を受けた。他のグループは熊谷家など石見銀山のお膝元で発展した大森の町並みを訪ねた。
二日目の宿は温泉津(ゆのつ)温泉だ。戦国、江戸時代は銀の積出港として、また温泉地として栄えてきた。温泉津の町は江戸の頃から配置がかわらず、重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。「外湯は薬師湯と元湯があります。ぬるいほうは43度、少し熱いのは46~7度でしょうか」と仲居さんの話。えぇっ!これは大変だ。入りに行ったのは数名らしい。
三日目は、さらに青空、雲一つない。出雲大社に向かう。今回は事前に申込、正式参拝となった。特に認められて、神主さんの先導で瑞垣の中、本殿前まで行き拝礼。そして大社についての説明を受ける。「こんな晴れは珍しい。出雲は八雲たつと言われるように雲と湿気が多いのです」と神主さんは開口一番。「大社は正式にはオオヤシロと言います。今年は60年に一回の遷宮。出雲大社は、建物の建て替えではなく、檜皮のふき替えなど補修が中心ですが、檜の皮を集めるだけでも大変。総額百億円以上かかります」「祭神は大国主命です。大黒天とは違います」「朝と晩、新鮮な食事、贄と言いますが毎日お供えします」などと歴史や式年遷宮についての話を聞く。
島根県立古代出雲歴史博物館は、出雲大社を中心とした古代出雲についての展示をしている。主な展示物は、荒神谷遺跡より出土した銅剣358本・銅矛16本、銅鐸6個(以上国宝)、加茂岩倉遺跡より出土した国宝の銅鐸39個、平安時代の出雲大社本殿を再現した10分の1の模型などであり、石見銀山など旧石見国も含めた島根県全体の歴史についての展示もある。中央ロビーには、2000年に出雲大社境内から出土した宇豆柱(うづばしら)。
帰りの羽田便は、残念ながら2グループに分かれた。16時15分発のグループは博物館見学後空港から羽田に向かい、19時25分発のグループは島根半島の西端に位置する日御碕(ひのみさき)神社、古代出雲歴史博物館を見学し羽田に向かった。    

紀行文2

5月20日(月)~22日(水)「島根 松江城、出雲、石見銀山を訪ねる」その②
5月21日昼頃、足立美術館を出た後は、宍道湖の水面を見ながら、大田市の石見銀山に向かう。今日は波もおだやか。宍道湖畔で昼食の後、1時間40分で石見銀山駐車場に到着。ここから先は環境保全のため電動自転車を使う。世界遺産・石見銀山ガイドの会のみなさんがお迎え。「この銀山は小金井とも関係が深いのです。川崎平右衛門は江戸中期ここにきて銀山の再興に力を発揮しました。その後3代にわたり代官をつとめました」そこから間歩(坑道)に向かう。山は緑に囲まれウグイスの声が聞こえる。「あれが千の山、山を中心に銀鉱脈があります。戦国時代「灰吹き法」が朝鮮から伝えられ生産が一挙に増えました。大名間の争奪がはげしくなりました」と銀山の歴史と銀製法を説明。電動自転車に慣れ、坂道を上って龍源寺間歩に到着。坑道にはライトがついているが暗い。暗い坑道を味わいながら約40分、鉱脈跡、横穴、立坑、水抜き坑などの解説を受けた。他のグループは熊谷家など石見銀山のお膝元で発展した大森の町並みを訪ねた。
二日目の宿は温泉津(ゆのつ)温泉だ。戦国、江戸時代は銀の積出港として、また温泉地として栄えてきた。温泉津の町は江戸の頃から配置がかわらず、重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。「外湯は薬師湯と元湯があります。ぬるいほうは43度、少し熱いのは46~7度でしょうか」と仲居さんの話。えぇっ!これは大変だ。入りに行ったのは数名らしい。
三日目は、さらに青空、雲一つない。出雲大社に向かう。今回は事前に申込、正式参拝となった。特に認められて、神主さんの先導で瑞垣の中、本殿前まで行き拝礼。そして大社についての説明を受ける。「こんな晴れは珍しい。出雲は八雲たつと言われるように雲と湿気が多いのです」と神主さんは開口一番。「大社は正式にはオオヤシロと言います。今年は60年に一回の遷宮。出雲大社は、建物の建て替えではなく、檜皮のふき替えなど補修が中心ですが、檜の皮を集めるだけでも大変。総額百億円以上かかります」「祭神は大国主命です。大黒天とは違います」「朝と晩、新鮮な食事、贄と言いますが毎日お供えします」などと歴史や式年遷宮についての話を聞く。
島根県立古代出雲歴史博物館は、出雲大社を中心とした古代出雲についての展示をしている。主な展示物は、荒神谷遺跡より出土した銅剣358本・銅矛16本、銅鐸6個(以上国宝)、加茂岩倉遺跡より出土した国宝の銅鐸39個、平安時代の出雲大社本殿を再現した10分の1の模型などであり、石見銀山など旧石見国も含めた島根県全体の歴史についての展示もある。中央ロビーには、2000年に出雲大社境内から出土した宇豆柱(うづばしら)。
帰りの羽田便は、残念ながら2グループに分かれた。16時15分発のグループは博物館見学後空港から羽田に向かい、19時25分発のグループは島根半島の西端に位置する日御碕(ひのみさき)神社、古代出雲歴史博物館を見学し羽田に向かった。         (参加者 23人)

2019年05月20日