新春の浅草・隅田川を廻りました

紀行文

1月7日(火)新春 浅草と隅田川を訪ねる    担当(織壁、岡田、佐藤(夕)、小林、垂水)
前日が寒の入りで、当日は曇り空の寒い日和であった。朝8時15分に三浦屋前広場に集合。8
時42分の上り始発に乗り、神田駅下車、東京メトロで浅草に。地上に浮かび上がって、浅草文化観光センターでトイレ休憩と点呼を行ったところ、参加者は75名にもなっており、多少時間を要し、10時10分見学へ出発した。当日の見学予定は先ず浅草七福神として、浅草神社、待乳山聖天(まつちやましょうでん)、今戸神社の3寺社、隅田川を渡って隅田川七福神の長命寺(ちょうめいじ)、弘福寺(こうふくじ)、三囲神社(みめぐりじんじゃ)の3寺社、郷社の牛嶋神社の7寺社である。
先ず5分ほどで浅草寺境内にある三社祭で有名な浅草神社へ。資料によれば恵比須神ということになっているが、正月の御開帳でも秘仏とかで見せない。一応お参りしてすぐ出ようとしたら、境内の一角で猿回しが始まり、その面白い仕草を見ていたら30分も時間をとってしまった。15分で待乳山聖天。毘沙門天は本堂内の扉の開いた厨子の中に納められていた。年に一度の大根まつりの日で大勢の人で賑わっていた。つぎに15分ほどで今戸神社へ。福禄寿は本堂正面の良く見えるところに祀られていた。境内に今戸焼発祥の地の石碑と、新撰組沖田総司終焉の地の石碑が並んで建てられていた。
隅田川を渡り、今戸神社の対岸に当たる場所に、隅田川七福神の長命寺(弁財天)、弘福寺(布袋)が建っている。長命寺は裏門から入るのが近いのだが、その横に『山本や』が二百数十年の味を伝える名物の桜餅を売っており、多くの参加者が飛びつき相当時間を費やした。長命寺の弁財天、弘福寺の布袋はいずれも本堂の正面の見やすい場所に祀られており、また隅田川七福神は参拝客も少なかったので時間は取らなかったが、それでも弘福寺で既に12時を過ぎていた。数分で三囲神社に着く。この神社は、三井越後家(三越などの創業家)の守護神として崇敬を集め、三井家先祖をまつる霊社や三井邸から移設した三角石鳥居やライオン像が境内に安置してある。恵比須神、大国神の二神は、境内の本殿左手の末社月読命(つくよみのみこと) 祠に祀られていた。
ここで12時40分だったので、解散式を行い以後は自由とした。しかし牛嶋神社までは、ほぼ全員が行動を共にした。この神社は郷社ではあるが、江戸時代には将軍家の崇敬が厚く、明治10年刊行の「東京名所図会」にも名所として記載されている。参拝後言問橋を渡り、午後1時過ぎ浅草寺へ帰ってきたが、小雨が降り出していた。ここで実質解散になり各自昼食をとり帰宅した。
(参加者75名)

2020年01月07日