看板建築の町石岡と筑波山を訪ねました

紀行文

見学会報告
11月12日(火)「看板建築のまち石岡と紅葉の筑波山を訪ねる」
担当(織壁、塚田、馬淵、宮崎、松下、嵯峨山)
小金井を7時に出発、午前10時前に石岡に到着、晴天にめぐまれ筑波山がきれいだ。茨城県石岡は古代国府が置かれた常陸国の中心、常陸国分寺跡と看板建築をボランティアのガイドで見学した。石岡は昭和4年に市街地の四分の一を焼失する大火にみまわれた。その復興建築に使われたのが看板建築、現在国登録有形文化財6戸を含め約30戸が現存する。看板建築とはなんじゃ? 疑問を持ちながらボランティアの話を聞く。関東大震災後に東京の市街地で再建に看板建築が大流行。石岡はそれが伝播したものだ。東京では職人の名は伝えられていないが、石岡で多くを手がけた左官職人・土屋辰之助の名が残る。防火のために銅板やモルタルの壁面は凝った装飾風仕上げたので見栄えがする。コリントやイオニア様式の柱頭飾り、アールデコ風のレリーフ、ガラス戸の瀟洒な組子、ドイツ下見張の銅板など。参加者世代はなんともノスタルジックな景色に感動「なつかしい!」を連発した。昭和大火でかろうじて焼け残った江戸期の元染物屋「まち蔵藍」も見学した。
昼は、市内老舗料亭でお弁当を食べ、名産品、野菜などを土産にバスで筑波山に向かった。かつて筑波山は江戸や多摩地域からも良く見え、浮世絵にも描かれてランドマークであった。この日は快晴、真っ青な空を背景に筑波山の男体山、女体山の二峰がくっきり見える。ロープウェイで女体山に登る。6分で到着し、頂上へは徒歩10分ほど。年寄りがつまずいては大変なことになると、登った人は7割ほど。頂上からは関東平野全体が見渡せ、水面が光る霞ヶ浦が美しい。筑波山名物のガマの油を売る売店をウィンドウショッピングしながら帰途に着いた。小金井には6時過ぎに到着。(参加者55名)


2019年11月12日