早稲田・千駄木・根津を巡りました
紀行文
2月14日(水)明治・大正の二大文豪記念館を巡る 担当(馬淵、嵯峨山、岡田、松島)
気温の低い日が続き天気が心配されたが、当日は晴天で温かくなり絶好の見学会日和に恵まれた。8時42分武蔵小金井駅始発に乗車、
東西線早稲田駅にて下車。最初に穴八幡宮へ向かった。何故穴八幡宮を訪れるのか、との質問があったとのことで、漱石の癇癪持ちが少しでも
和らぐようにと鏡子夫人が「蟲封じ」の御参りをしたといわれる、文豪に関係する場所である、と説明。
その後、漱石誕生の地の石碑を見学し、漱石山房通りを歩き昨年9月に開館したばかりの漱石山房記念館を訪れた。ここは、
漱石が没するまでの9年間を過ごした住居(漱石山房)跡である。漱石山房は、戦災で焼失した。庭園を散策し、漱石像を囲み集合写真を撮った。
入館後、この記念館の目玉である再現された書斎の前でボランティアガイドの説明を受けた。当時撮った写真にそっくりにできている。
記念館見学後は神楽坂駅まで歩き、駅周辺で分散して昼食。昼食後、東西線・千代田線で根津駅へ移動し、漱石・鷗外両文豪ゆかりの
根津神社を訪れ、両文豪が腰掛けたという「文豪憩いの石」、「鷗外の石」と称する水飲み場などを見学した。その後、近代文学史上重要な
史跡といわれている、鷗外と漱石が時期を前後して住んだ住居跡の石碑を見学。そして緩やかな上り坂である薮下通りを歩き、鷗外が
30歳から亡くなるまでの30年間を過ごした住居である「観潮楼」跡に建つ森鷗外記念館を訪れた。記念館の方より「観潮楼」と展示資料に関する
説明を受け、庭園も散策。当時のまま残る数少ない遺物である「三人冗語の石」も見学。鷗外が住んでいた頃はここから品川沖が見えたとの
ことであるが、現在はビルの間からスカイツリーが見える。記念館を出た後は、団子坂を下り谷中界隈を歩き、岡倉天心記念公園にて
終了式を行った。その後全員で谷中銀座まで歩き、ここで午後3時ごろ解散した。 (参加者52名)