飯能天覧山を登りました
紀行文
11月11日(火) 紅葉の飯能をのんびり歩き、明治天皇が軍事演習を統監した天覧山197mに上る
(担当 太田(祐)・島田・森・嵯峨山・閑野)
飯能という地名は聞いたことはあるが、どこにあるかはわからない。くまが出たぞ、というというのを聞くとそんな田舎でもなさそうだが、有名な神社仏閣は知らないし、美味しいものがあるとは聞かない。あとは、テレビで知るのは、飯能からちょっと北にある曼珠沙華の巾着田くらいで、季節になるとそれを聞きつけた人が車で押し寄せ、行ってみるとそこから抜け出すのに何時間もかかったという、テレビで見かける光景である。それと飯能河原のバーベキューくらいか。
したがって、現場で推奨するのは天覧山と能仁寺の紅葉くらいで、市の観光課としては温泉や城跡がほしい。百年以上前に上野戦争とか飯能戦争とかはあったが、どことどこが戦って、自分はどっちに味方していいのかもわからないので、興味はわかない。
結局ここが選ばれたが、案内人は5名、どうしたものかと思案した。くまが出た、というニュースをどれだけの人が覚えているものか。山に対する反応はどうか。何人が参加するかによって、「案内」と地図はどのくらい用意したらよいか、気にしてもしょうがないが気になった。地図は飯能駅の旅行案内所でもらったが、60部しかなかったので「案内」もそれに合わせた数を印刷した。
当日集合時間まで皆さんをお待ちしたが、どうも出足が悪い。それは行程が国分寺を通るのでそこから参加する人も者いるのだろうと考えた。最終集合場所の飯能駅で人数点検をしたところ、参加者はなんと59名であった。
飯能は、木材・生糸・石灰など江戸への流通の要衝であった。シャッター街ではあるが何となく古風で昭和の気配が残り、豊かに暮らせそうであり、歩きながらそんな声も聞こえてきた。
山にさしかかると山道をみんな軽く登っていく。薄日がさし風もなく暖かい。頂上直下の天覧山中段を休憩所として用意したが不要で、ほとんどの人が頂上に立った。昼食後、能仁寺を訪れたが紅葉はもう一つ。隣のみやげもの屋では多くの方がそれぞれ家族への想いを、買い物かごにたくさん入れていた。飯能博物館の学芸員から解説を聞き、我が会の締めくくりに相応しい時間が持てた。ここ飯能博物館で一次解散し、希望者は飯能河原へ寄り河原を歩いたが、多くの方が参加した。各自飯能駅経由で帰途についた。
当日、各場所での出発・集合時間表を作成したが、報告・連絡・相談が確実になされ会員もそれに従い、運営は万全であった。 (参加者 59名)





