会津方面一泊で訪問しました
紀行文
6月16日(日)~17日(月) 会津若松方面の歴史と文化財を訪ねる 担当(織壁、馬淵、佐藤、垂水)
1日目
今回は、小金井からバスでの往復の見学会。朝7時15分、予定通りに出発することができて一安心。日曜日で道路は空いている。東北自動車道を順調に走行。最初の予定より1時間ほど早まったので、「大内宿」の前にサプライズとして用意していた「塔のへつり」を見学することができた。短時間ではあったが、阿賀川の浸食作用により生み出された塔が並び立つような奇観を、吊り橋を渡りながら眺めた。皆さんは到着直前に案内したので、おおよろこび。
その後、最初の見学先である重要伝統的建造物群保存地区「大内宿」を見学。現地下郷町観光公社のガイドに案内してもらう。明治期の鉄道開通により街道はさびれたが、「半農半宿の宿場」であったため宿場はすたれず、よく整備された茅葺屋根の家屋が立ち並んでいる。宿場の奥の見晴台から眺める宿場の眺めは絶景であった。昼食は、多くの人がこの地域で有名な「ネギそば」を食した。店の人から「どんぶりを顔に近づけてネギで食べてください」と言われた。
会津若松市に移動し、三時半に予約していた鶴ヶ城を見学。城は戊辰戦争で大きな被害を受け、当時の建造物はほとんど残っていないが、濠や石垣は立派である。本丸跡に土居晩翠の「荒城の月碑」が建っていたので、皆で「荒城の月」を合唱した。そして昭和40年に再建された天守に登り博物館となっている内部を見学。
初日の見学を終え、宿泊ホテルへ。休憩後、会津迎賓館で夕食をとり懇親を深めた。
2日目
朝8時15分にホテルを出発。最初に、白虎隊の若き隊士が自刃した飯盛山にむかった。隊士の墓は飯盛山の中腹にある。きつい坂を上る必要があるが、スロープコンベアがあり皆さん安心して登ることができた。墓近くに、隊士自刃の地があり、ここで隊士たちが最後に望んだ鶴ヶ城の天守を眺めることができた。
次に、白虎隊士の墓のそばにある「さざえ堂」を見学。ここは、旧正宗寺の観音堂で、今は個人所有となっている。さざえ堂の階段は、「二重らせん構造」で、上りから下りまで一方通行で、人とすれちがうことなく見学できる。近くの白虎隊記念館は希望者が見学した。
次の見学先は会津武家屋敷で、団体は見学と食事がセットになっており割安感がある。敷地は7千坪と広大。その中でも再建された家老西郷頼母邸は非常に立派であった。部屋数は28もあり、藩主を迎える書院造の「御成の間」もしつらえられている。
会津武家屋で昼食をとり、最後の見学先である猪苗代湖畔にある野口英世記念館を訪れた。以前は野口英世の生家だけであったが、現在は生家のそばに立派な本館がある。さらに感染症ミュージアムも併設。生家では、幼名清作が「てんぼう」といわれた左手に大火傷を負った囲炉裏が印象的。本館には子供の頃の成績やその後苦学して米国に渡り医学研究者として大成する過程が展示されている。
二時に野口記念館を出発し、帰途についた。その後バスは順調に走っていたが、東北自動車道は事故渋滞で、1時間近くノロノロ運転が続いた。小金井帰着は予定をやや過ぎ7時近くとなった。(参加者数
26名)
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塔のへつり
南会津郡下郷町に
ある天然記念物
「塔のへつり」。へつり
とはこの地方の方言
で危険な崖を意味
する -
大内宿
重要伝統的建造物群
保存地区「大内宿」。
良く整備された茅葺屋
根の家が並ぶ旧街道
の景色 -
大内宿2
下郷町にある大内
宿は、江戸時代に
会津若松と日光
今市を結ぶ街道の
宿場町として栄えた -
ネギそば
大内宿の名物
「ネギそば」。「どんぶ
りを口に近づけてネ
ギを使って食べて
ください」と言われた -
鶴ヶ城
幕末の戊辰戦争
では、藩士たちが
立てこもった鶴ヶ城
の徹底抗戦は悲
惨だった -
集合写真
現在の城は昭和の
再建。天守閣の最
上階から会津盆地
の街並みが見わたせる -
白虎隊自刀の地
会津・飯盛山の中腹
にある白虎隊士自刃
の地。 -
飯盛山
白虎隊士は、飯盛山
の中腹から鶴ヶ城が
燃えていると思い
自刃したといわれる -
さざえ堂
飯盛山の「さざえ堂」。
1796年に建造された
旧正宗寺の観音堂で
、上りと下りが別々
のらせん状になっている -
復元された家老屋敷
会津武家屋敷の
復元された会津藩
家老西郷頼母邸
の表玄関 -
野口英世生家
猪苗代湖畔にある
野口英世記念館。
野口英世が上京
する19歳まで過ごした
生家が保存している -
集合写真2日目
会津武家屋敷入口
にて集合写真