東京湾唯一の自然島、猿島を訪れました

紀行文

6月11日(火)東京湾にある無人島「猿島探検記」 担当(太田祐、桜井、藤井、小林,閑野)
いまは無人島であるが、むかしの縄文・弥生時代には人が住んでいたという。三浦半島の付け根、横須賀から1.7kmに位置し、東北から南西に長く、全長約500m。広さは55ha、小金井公園の約2/3の面積である。  
横須賀の新三笠桟橋から280人乗りの船で10分、砂岩の崩れかけた岸壁に到着する。海底に堆積した砂泥がいつしか隆起し39mもの高みになった。そこからの東京湾を見渡す景観と、まったく「無傷」の戦争遺跡を見ることができる。
島の地理的特徴が、江戸、東京を防御する適地と認識され、備えはペリー来訪時には始まり、明治・大正と続いた。この太平洋戦争で島に軍指令部を設置し、要所に高射砲を10数台据え付けた。弾薬庫をつくって大量貯蔵し、その補給路を敵に察知されないようにトンネルや切り通しで確保し、発電設備も設けた。それらのすべてをレンガで表装し万全であった。しかし、その機能が果たされることはなかった。米軍機は島の東を素通りして東京に向かい、一度も爆撃されることもなく、島の高射砲は一度も発することがなかった。米軍の情報収集力は優れており、この島を攻撃の対象とせず「素通りせよ」という指令を発したのであろう。残念であったのか、よかったのか。いまその無傷の戦争遺跡を見ることができるのである。
猿島という島の名について。鎌倉中期、日蓮聖人が千葉の上総から小舟で三浦半島に渡る途中、暗雲垂れ込められ方向を見失った。その時ここで白い猿に出会い、島の中央まで導かれたという。その上陸地点は当地に明示されているが、「危険」なので近づけない。今、島内には猿は一匹もいない。
小金井で58名が集合して武蔵小金井駅で乗車し、朝の雑踏時の新宿駅で乗り換えて品川駅に到着、京浜急行に乗って横須賀中央駅で再集結した。そこで参加者10人を加えて20分歩く。出発してから約3時間、一人の欠落もなく目的の新三笠桟橋に到着した。島内では自由行動で1時間、全員定刻までに帰着して船に乗り横須賀へ戻った。
終了後の自由参加の「軍港巡り」は秀逸であった。イージス艦を何艘も見た。(参加者68名)

2024年06月11日