松戸のあじさい寺と戸定邸を訪ねました
紀行文
6月13日(火) 松戸のあじさいの寺と定邸(とじょうてい)を訪ねる 担当 (垂水、馬淵、太田(義)、岡田)
前日までは台風の影響を受けて天候が危ぶまれたが、当日は少し暑いくらいの好天となり見学会日和となった。武蔵小金井駅下り7時57分発に乗車し、西国分寺駅で武蔵野線に乗り換え、新松戸駅で常磐線各停に乗り換え、北小金駅で下車した(9時19分着)。この駅は改札を出たところのスペースが狭いので、駅のホームにて最終受付と点呼を行った。
最初の見学先である本土寺へ向かった。ほどなく杉木立の風情ある参道が続き、途中2軒の土産物屋があったが寺の帰りに寄ることにして、一路本土寺へ。本土寺は1277年に建立された日蓮宗の寺であり、境内も広く立派である。紫陽花と菖蒲の広大な庭園が有名で、6月のこの時期の拝観は有料となっている。本土寺の「本土」とは、法華経に説かれる「我此土(わがこのど)」つまり、本当の仏であるお迦様がお住まいになる国土、に由来するといわれる。
仁王門をくぐり、左手に五重塔を見上げ、本堂、歴代住職の廟などを巡ると周囲には紫陽花が咲き乱れており、坂を下ると現れたのが広大な菖蒲池庭園。庭園は菖蒲の花で埋め尽くされており、多くの見学者が感激していた。紫陽花と菖蒲を十二分に鑑賞し、寺からの帰り道土産物屋に立ち寄ったが、多くの方が楽しそうに買い物をされた。
北小金駅に戻り、常磐線で松戸駅に移動し下車。松戸市は人口約50万人で、松戸駅はその中心であり大きな駅である。駅前で各自昼食をとってから再び集合し、次の見学先である戸定邸に向かった。
戸定邸は、徳川慶喜の弟で、最後の水戸藩主であった徳川昭武が明治になって建設(1884年)した別邸であり、隠居後はここで過ごした。「戸定」は地名であり、戸定邸は江戸川をのぞむ高台に位置している。表座敷の南側は庭園になっており、西側は眺望が開けており当時は富士山が良く見えたとのことである。戸定邸は、明治前期における上流階級住宅として歴史的価値が高く、重要文化財に指定されている。23室もある広い邸内を4組に分かれて見学し、ボランティアガイドの方から丁寧に説明していただいた。邸内見学後は、邸の南に広がる東屋庭園に移動し集合写真を撮った。戸定邸を出たあとは松戸駅に戻り、ここで解散とした。 (参加者
51名)