清里高原とシルクロード美術館を巡りました
紀行文
7月22日(火) 清里と平山郁夫シルクロード美術館を訪ねる 担当 (織壁・塚田・福崎・垂水・太田義守)
暑さ対策として、今年8月は涼しい清里高原にバスで行く事にした。参加が予定より多くなったため、会費を500円値下げ。定刻前に出発。弁当を談合坂SAで購入する予定だったが販売なし。しかし大半の方が自宅から弁当を持参し、問題とならずほっとした。
甲斐駒ケ岳から伏流を使っている酒造『七賢』の台ケ原宿へ。「日本の道100選」に選ばれている。『七賢』の建物は明治13年に明治天皇が行幸で宿泊。明治から続く和菓子処『金精軒』も立ち寄った。
三分一湧水は八ヶ岳の懐から湧き出る水量豊かな湧水「日本名水百選」。その昔、水の争いが絶えなかったため、武田信玄が湧出口の分水枡に三角の石柱を築き、三方向に流水を分岐したという。清里高原の方向に黒い雲と入道雲が現われ、雷もなり始めたため、ここで集合写真を撮っておくことにした。
平山郁夫シルクロード美術館に到着。我が国の仏教文化と関係の深いシルクロードの美術・文化の理解を深めることを目的に2004年開館。コレクションは、ヨーロッパ、アジアの約37ヵ国地域で作られた古代から絵画、彫刻、工芸品など、約10,000点の貴重な遺産展示、保存。時間をかけ見学した。
清里・清泉寮に昼過ぎに到着。前日の予報では、清里高原は午後から雨。幸い降っていなかった。小金井市の本町小学校6年生がバス3台で来ていた。到着後、牧場を背景に全員で集合写真。標高1,400mの清泉寮のベンチで昼食。名物のソフトクリームを食べたり、高原みやげを探したり、牧場をのんびり眺め八ヶ岳の自然にふれることができた。
清里高原の開拓は、昭和13年に、奥多摩湖建設のために故郷を追われた丹波山村、小菅村の人々が清里の地に入植し、開拓を始めた。この開拓を支えたのが、開墾事務所長の安池興男。清泉寮は、現在はロッジ、レストラン、
キャンプ場などの宿泊・研修施設であるが、建設 当初は清里開拓の父と呼ばれるポール・ラッシュが指導した清里教育実験計画:KEEP (Kiyosato
Educational Experiment Project)の一環 としての、日米協会青年活動によるキリスト教研修の中心施設であった。
清泉寮を定刻の14:50に出発し帰途についた。清里駅前を通り、中央高速道路を予定通り進んだが、韮崎近辺から工事渋滞になった。結果的に100分遅れの19:10武蔵小金井に到着となった。
(参加者 47名)