雨で中止の中、集まった人で武蔵境散策しました
紀行文
12月8日(水) 境村の杵築大社、観音院等を巡る 担当 (閑野、中島、柏倉、垂水)
見学会の前日の予報では終日雨、当日も雨が続き風も強くなるとのこと、また会員から参加できない旨の連絡もあり、担当間でメールをやりとりし、中止とした。役員にはその旨メールしたが、集合場所の武蔵境駅には一般の会員を含めて15人が集まった。そこで、有志による見学会とし参加費は集めずに説明を簡略にして、事故等に気配りし、見学予定コースをまわった。天候による中止というのはなかなか難しいと思わされた。
見学は、慶長年間に松江藩主松平直正が下屋敷とした境村に創建した杵築大社(出雲大社を屋敷神として創建)を最初に訪ねた。武蔵野八景碑を見学したが、富士塚は雨のため頂上には行かなかった。次の観音院では、境内墓地にある「贔屓(ひいき)の引き倒し」の贔屓を象(かたど)った像の説明と見学を行い、最後の武蔵野ふるさと歴史館では、学芸員から武蔵野市の歴史を原始・古代(武蔵野台地の遺跡、遺物)、中世(鎌倉街道と板碑)、近世、近現代などについて丁寧な説明を受けた。12時前に同歴史館にて解散した。
(参加者 15名)
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杵築大社
出雲国松江城城主松平
直正が武蔵12町(13
08m)四方を下屋敷と
し出雲の杵築大社(
出雲大社)と稲荷社を
創建した事に由来する
神社。 -
武蔵野八景碑
明治32年(1899)停車
場開設10周年に地域
の名勝8つが記載され
ています。小金井花と
して小金井桜も入っ
ています。 -
観音院山門
承応2年(1653)に杵築
大社と同じく松平直正
により観音堂として建立
されました。境内の寒川
筆子塚には関野新田
9名の名前があります。 -
贔屓(ひいき)の像
楼門・鐘楼・諸堂建設碑
の前にある像は贔屓の引
倒しの贔屓です。 -
武蔵野ふるさと歴史館での見学
学芸員の方から旧石器
時代から戦中の中島
飛行機空襲までと武蔵
野市の地理的位置につ
いて説明を戴きました。 -
杵築大社で集合写真
黄葉の銀杏の絨毯
の上で記念写真