貫井村21

紀行文

8月24日(火) 貫井地区の遺跡・江戸時代の面影を巡る        担当 (閑野、柏倉、中島、織壁)
 新型コロナ対策の緊急事態宣言延長の影響を受け、度重なる延期となったが、今回はマスクの着用や密回避を徹底し開催した。暑さ対策も兼ねて集合場所も貫井神社正面に9時集合。先ずはここから坂を上がり貫井遺跡の出土品見学で三楽会館を訪問、展示されている土器など遺跡の出土品を見学。坂を戻り明治政府の神仏分離令で分離された真明寺・貫井神社を見学。貫井神社では、かつて神社横の崖上を下り落ちていた用水にあった秋和水車の排水溝に掛かっていたと伝わる石橋「大正橋」が拝殿そばに移設されていること見た。そして大岡昇平「武蔵野夫人」に描写された貫井神社と今は廃止となり痕跡がなくなった用水を、原文を読み比べながら見学した。
次に享保8年10月24日造立の地蔵菩薩と、道しるべを兼ねた寛政6年の文字庚申塔へ。地蔵菩薩では最近まで念仏講が行われていた。また庚申塔には「右 小川 すな川道 左こくぶんじ道」と刻字されており、内容から寛政6年当時の宿場や中心地を見ることが出来た。小川は現在の小平市小川で、当時五日市街道の宿場として開発され、小平村となったときも小川の「小」と平らな地域として村名が決定している。続いて貫井共同墓地内の焔魔堂にて閻魔像を見学。首部に安永6年の墨書が確認されている。最後に千手院、筆子塚(曲眼堂)を見学。千手院は府中の高安寺の末寺で寺紋も高安寺と同じ足利氏家紋。天保年間に住職の泰嶺和尚桃雲禅範がこの地に寺子屋を開いた。筆子塚は、没後に貫井村など近隣の筆子(生徒)が遺徳を偲び建立したもの。
ここで解散したが、駅まで徒歩で帰る参加者は貫井「おおせど」跡と、園の命名と揮毫が犬養毅である滄浪泉園の標柱を見て、武蔵小金井駅まで帰った。                    (参加者 32名)  

2021年08月24日