足尾銅山を訪ねました
紀行文
(1) 8月20日(水)「わたらせ渓谷鉄道と足尾銅山を訪ねる」担当(塚田、織壁、馬淵、嵯峨山)
作家立松和平は、足尾線(現わたらせ渓谷鉄道)を子どものころ訪ねている。「大間々をすぎたあたりから、山の中に入る。渡良瀬川に沿った美しい風景を幼い私は車窓にもたれながら眺めていたものだ。したたるような緑の中をすんだ水が流れる…『旅の暮らし』」と書いている。
6:15集合。小金井の高齢者パワーは朝に強い、6:20バスで出発。圏央道、関越道を通って順調に9時桐生駅に到着した。窓ガラスのないオープンな車両と普通車両の2両・トロッコわっしー号に分乗して出発。通洞駅まで1時間半の列車の旅。緑の美しい風景が広がる車内で昼食をとった。
通洞駅で集合写真をとり、二班に分かれて見学に向かった。古河足尾歴史館では館長さんが「足尾は鉱毒であまりにも有名になったのですが、今は緑の山々です。鉱山の歴史についても知っていただきたい」「山がはげ山になったのは、精錬から出るガスのせいもありますが明治20年の大山火事も原因です」などと語った。江戸時代の初めが全盛期で、足尾銭と言われた寛永通宝も作っていたという。明治になり衰退していた銅山を復活させたのが古河市兵衛、明治の富国強兵を支えた。
次に、足尾銅山観光に向かう。およそ5分のトロッコ列車に乗り坑道に進む。奥には約1,200㎞に達する坑道があり、東京・博多間とおなじだという。トロッコを降りひんやりした坑道を見学した。江戸時代の手掘りから、近代化された機械による掘削までリアルな人形が作られていた。坑道の外には江戸時代の鋳銭座跡の展示館があり、寛永通宝の鋳造の様子が展示されていた。
次は「鉱都足尾の迎賓館・古河掛水倶楽部」に行く予定であったが、都合で見学できず、車窓から旧精錬所跡、銅親水公園や足尾の山並みを見学して、帰途についた。渡良瀬川の川沿い、北関東道・関越道などをとおるも、時折激しい夕立にみまわれ、更に圏央道の事故不通にて渋滞に遭遇。予定より少し時間を要し、午後6時半ごろ無事小金井に帰着した。(参加者54名)