渋谷を廻りました

紀行文

12月10日(火)「渋谷を歩く」              担当(柏倉、本田、中島、森)
 夜来の雨が上がり青空が見え始めた8時33分、小金井駅始発の電車で移動開始。吉祥寺から合流の参加会員とともに井の頭線で渋谷へ到着。
 まずは、「忠犬ハチ公」に挨拶し、再開発の駅周辺を眺めた後、スクランブル交差点を渡り、いよいよ渋谷を代表する「道玄坂」を歩き始めた。与謝野鉄幹、晶子ゆかりの「東京新詩社跡」を見た後、さらに道玄坂を上り坂上にある「与謝野晶子歌碑」を見て、関西から嫁いできた晶子の苦労に思いをはせ、また「道玄坂供養碑」を見て、道玄坂の由来と供養碑の意味を知った。
 東急開発の街、というイメージの渋谷であるが、関東大震災の後、西武の前身の「箱根土地開発」が被害を受けた都心の有名店を誘致した「百軒店(ひゃっけんだな)」(今はその面影も無くなってしまった)を歩き、時期を同じくして宮益坂から遷座した「千代田稲荷神社」(もともとは太田道灌が伏見稲荷を江戸城に勧請した)にお参りをした。
 次に「渋谷区立松濤美術館」を訪問。学芸員から建築家「白井晟一(せいいち)」の設計による美術館についての詳しいレクチャーを受け、その後自由に建物と開催中の「サラ・ベルナールの世界展」を鑑賞した。美術館正面にて集合写真撮影後、近隣の「松濤公園」を散策。時代に伴って変わってきたこの地の歴史を感じたところで、この見学会のハイライトともいえる「陸軍衛戍刑務所跡」に向かって松濤の坂を歩いた。途中「国木田独歩旧宅跡」を見て、NHKスタジオパークの道を挟んだ「二・二六事件慰霊碑」(陸軍衛戍刑務所跡)に到着。何故この地なのか、由来と設置団体等について学んだ。その後、刑務所の南端に位置する「陸軍用地」と刻まれた境界石を見て、当時の刑務所の敷地の広さを想像した。その後、駅に戻る道の途中今は無くなってしまった「恋文横丁跡」を確認して終了。
今回の見学会は多数の方に参加して頂いたのだが、混雑する渋谷の街中で通行人等に迷惑を掛ける場面があったのは、反省点のひとつであった。
 尚、この見学会の場所とコースの原案は、本年11月にお亡くなりになった奥村氏によるもので、多数の方の参加を頂いた事を生前に報告出来なかったことは大変残念でした。ここにあらためて故人のご冥福をお祈りいたします。合掌。                  (参加者 57名)

2019年12月10日