稲城市の寺社を巡りました
紀行文
10月9日(火)稲城市の寺社を巡る 担当(坂本、佐藤(環)、中島、閑野)
JR武蔵小金井駅を8時32分に出発。西国分寺で武蔵野線に、府中本町で南武線に乗り換え、矢野口駅に9時過ぎに到着、下車し点呼。
ボランティアガイドさん2名の歓迎を受ける。今回の見学会は全工程をこの2名のガイドさんにガイドして頂いた。感謝。9時20分出発。
先ず駅の北側にある14基の馬頭観音像、矢野口渡し跡を見学。南に転じて、穴澤神社へ向かう。急峻な男坂とやや緩やかな女坂と二つの
道がある。44名の参加者中約10名が勇気を奮って男坂へ。女坂組とは頂上のお社で合流した。延喜式にある武蔵国多磨郡穴澤神社に当たると
言われている古社だ。下りは男坂組も女坂を選んで下りた。途中に「東京の名湧水57選」にも選ばれた湧水と小さな洞窟があった。
京王相模原線の高架を潜って、妙覚寺へ向かう。ここでも本堂までは踏み込みの広い階段が続く。境内には筆塚と板碑、鐘楼があった。
板碑は緑泥片岩製で享徳3年(1454)の銘があり相当古いモノだった。少し歩いて京王相模原線の京王よみうりランド駅から1駅乗車し稲城駅で
下車。天台宗妙見寺と妙見尊は明治以降も神仏習合を続けている珍しい状態で、妙見尊を妙見寺が今でも別当寺として管理している。
妙見寺から急な階段を登って、11時55分に妙見尊に辿り着く。妙見尊の星祭りは有名。境内にある星供養百年祭記念碑(大正10年(1921)の銘)には
小金井村からの3名、手水石(明治11年(1878)の銘)には1名の名を確認できた。多摩川を越えた交流の跡を示しており、この地が小金井からの
信仰の対象となっていたことがわかる。大分お腹も空いてきたが、お昼の前に訪れたのが「常楽寺」。阿弥陀堂外陣の鏡天井には、
江戸時代中期の絵師、相沢五流による飛天図が描かれており、稲城市観光課長の協力と寺側の好意で史談会一行に公開された。
午後1時前に稲城市役所に到着。地下の職員食堂で観光課長からの歓迎の挨拶を受けながら、お昼をいただく。約1時間の休憩の後、延喜式内社の
一つとも言われる青渭神社は向かう。途中、漢学者の窪全亮が明治13年(1880)に設立した私塾「奚義塾」跡に建つ頌徳碑も見学した。
10分ほどでJR稲城駅に到着。14時45分現地解散。解散後、駅横の売店でてんでに名物の梨のアイスクリームや土産物を買う姿が
目立った。約16000歩。よく歩いた。 (参加者44名)
-
穴澤神社
延喜式神名帳に記載され
ている神社の一つと
言われている。本殿の
建築は江戸時代初期の
もの。神社の南側丘陵
には大沢城址がある。 -
妙見寺
妙見寺は天台宗神
王山観音院と称し、
宝永年間に寺格に
引き上げられ妙覚寺
となったと寺院明細帳
には記されています。 -
妙見尊
妙見山の頂上にある
妙見尊は今でも妙見
寺が別当寺として管理
し神仏混合を今も残して
います。星祭りが有名で
星供養百年祭祈念碑
には小金井の人名も3名
手水石には1名の名。 -
妙見尊で集合写真
妙見尊鳥居前での
集合写真。8月7日
の蛇より行事は、ここ
で行われます。
冬至に行われる星
祭りには鉄舟揮毫の
幟が立てられます。 -
青渭神社
昔この付近に大きな
青い沼があり、その
御神霊をまつったのが
期限と言われています。
農耕や生産に霊験
あるとされています。 -
穴澤弁天社
穴澤神社の入り口
にある弁天社。